10月のご案内(B.E. Buddhist era 仏暦2550

 今年の7月29日、30日新潟県の三条別院(真宗大谷派)でビハーラ医療団の第6回研修会が開催されました。その帰りの途中に味方村の曽我量深先生記念館を訪ねました。そこには次のような文章が掲示されていました。

仏さまとは(曽我量深)

1.仏さまとはどんな方でありますか。
「われは南無阿弥陀仏、と名のっておいでになります。」

2.仏さまはどこにおいでになりますか。
「南無阿弥陀仏と仏さまを念ずる人の前においでになります。」

3.仏さまを念ずるにはどういう方法がありますか。
「仏、助けましませと念じます。どこでも誰でもいつでも、たやすく仏さまを念ずることが出来ます。」
(田畑の註;念ずるとは念仏すること。自分の愚かさに目覚め、凡夫にかけられた本願、南無阿弥陀仏の訳柄をお聞きして、仏の呼びかけに応えて念仏すること)

 これは、ある老婆が曽我先生のお話を聞きにいく予定であったところどうしても行くことができない事情があって、お嫁さんに是非、代わりに行って聞いてきてくれと頼んで上記の三つについてよく聞いてきてくれと頼んだそうです。曽我先生は大学であろうと田舎のお寺であろう、同じようなお話をされる先生だったそうです。初めて聞きに来たお嫁さんにはチンプンカンプンで全く理解できない内容だったようです。帰っておばあちゃんにどういうお話であったとか、上記の質問に答えることなど全くできない状態で、帰るに帰るわけも行かず、でも持ち前の純朴さの素直さで、先生に是非ともおばあちゃんの質問に答えてもらわなければ、ということで会場の楽屋を訪ねていかれたそうです。そして、事情を説明して頼んで曽我先生に面会させてもらったそうです。そして先生に上記の三つを質問して答えを紙に書いてもらったのだそうです。
 深い世界に出られた方がその内容を縁に触れていろいろ表現をされるわけです。その老婆とお嫁さんの存在が。曽我先生の念仏の味わいを分かりやすく表白される機会を熟させたということです。後学の者には貴重な文章が残されたということです。
 私たちがいただく浄土の教え、念仏の教えも釈尊(ゴータマ・ブッダ)が深い寂静の世界、悟りの世界に目覚め、その真実の世界を当時の周りの人々に、相手の能力、個性等に応じて、相手に合った説法をされたことだったようです。約50年間に8万4千の法が説かれました。その中に阿難に説かれた教えが「仏説無量寿経」であったわけです。それに加えて、韋提希(イダイケ、注1)と阿難に対して説かれた「観無量寿経」、舎利弗(注2)に対して説かれた「阿弥陀経」の三つを浄土三部経といいます。浄土の教えがこの三つで説かれているのです。
  釈尊の悟り、目覚めの内容に浄土の教えがあったとしても浄土の教えを説かしめる縁が熟さなければと説かれなかったでしょう。阿難の存在、王舎城の悲劇、舎利弗の存在、これらは本当に貴重な存在、出来事だったのです。
  仏の悟り、仏の智慧の世界を推測させる文章が南伝仏教(南伝仏教とは、インドからタイ国方面に伝えられていったもので大乗経・小乗経の区別なしに伝わった教え)の仏教者の教えの中にあります。(智慧というのは、いつでも100%正しい答えを出すのです。智慧で出した答えは間違いはないのです。どんな疑問についても、ズバリ、ぴったり、100%正しい答えは、智慧から出るものなのです。こが智慧の特色の第一です。智慧というのは、考えて考えて出すものではないのです、考えると妄想になるから。智慧というのは考えない世界です。熱い物に触れると「アチィ」といってすぐに手を離す、瞬間的に。これは正解なのです。私たちの日常生活では、こういう、瞬間的な判断とか反応という「智慧もどき」のことをけっこうやっています。それで命が守られています。

  スポーツで何回も何回も訓練して、「考えないでやって下さい」というようなことがあります。考えないでやる行動は、ぴったり正しい行動になるのです。相撲、野球、テニス、瞬時に瞬時に考えないで行動しないといけないのです。
  ふだん我々には「智慧」はありません。「智慧もどき」はあっても本物の「智慧」はない。なぜ「ない」とはっきり言えるのかというと。「智慧」というのはものすごく清浄で、清らかなものなのです。なんの感情もないのです。完全に清らかなのです。無色透明なのです。だから智慧があるのは、悟りを開いた人にだけなのです。
  智慧の特色がもう一つあります。考えないから、心はずーっと平安な状態で、波がない。何か問題が起きると、それに適した反応が瞬時に自動的に起こる。それが智慧です。勉強した場合は「知識」ですから、重いのです。世の中のことを勉強して我々は生きている。だから、まず考える必要があるのです。しかも「知識」は、勉強したものだから覚えている必要があるし、忘れてはいけません、忘れないようにまた復習しなくてはならない。結局『知識』は荷物と同じなのです。
  『智慧』というのは、そういうようなものが何もない状態なのです。形をとっていない心の状態なのです。まったく形を取っていなくて、本来の状態でいる。そこで、外の世界で何か起きたら、それに適した反応が生まれる。その原因が消えたら、こちらもまた元の、形のない状態に戻るのです。ですから「智慧」というのは、どんな疑問にも答えを出します。出す答えは、「それしかない」というものです。「欲」と「怒り」と「無知」という三毒(煩悩の基本の三本の柱)、それらを倒したら、おもちゃでなく本当の智慧。倒さない限りは「智慧」ではないのです。)
  仏教の師に質問をすると、こちらが“なるほど”と深く驚きを伴ってうなずける返答をいただくことがあります。質問することが大切です。私個人の課題に対して智慧の世界からの分かりやすい、うなずける受け取りを教えてくれることになります。

注1;韋提希夫人(イダイケ): マガダ国のビンビサーラ王の后である。息子のアジャータシャトル王子によって王を殺害され、自らも牢獄に幽閉される。『観無量寿経』はこの事件(王舎城の悲劇)を契機として説かれた。
注2;舎利弗(シャリホツ):『阿弥陀経』で釈尊の説法の対象となる長老舎利弗は、釈尊の十大弟子の1人に数えられ、智慧第一と讃えられます。舎利弗は、釈尊最初の弟子であったアシュヴァジットに出会い、短い縁起の偈文を聞いて即座に仏教の奥義を悟り、親友の目連とともに釈尊に帰依しました。入門後の舎利弗は、釈尊の代りに説法できるほど信任厚く、教団を引っ張る中心的指導者として活躍しました。釈尊に「自分の後継者は舎利弗」と言わしめるほどの高弟でしたが、釈尊よりも先に亡くなったのです。智慧第一の舎利弗になぜ、念仏の教えが説かれたか?
  仏さんのお心は「舎利弗よ、あなたは智慧第一かも知れないが、凡夫のために説く念仏の教えがわからなければ、仏教が本当にわかったとはいえないよ」、というお気持ちだったのかもしれません。

 

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