5月のご案内(B.E. Buddhist era 仏暦2553)

仏教は「生まれてきた意義」をどう考えるか(1)

1.対象化と一体化と私
 私たちのもの考え方にふたつの考え方があります。(1)「対象化」、私という存在が居て物事を外側に、向こう側に眺めるように見る見方です。私が世の中のことを見渡し、このことは利用価値があるかないか、これは私の敵か味方か、役に立つか役に立たないかと考えながら、私と切り離して見る。私が一つあって向こう側にもう一つある、「二」という関係です。利用価値のあるものを集めて私の人生を、私の思いを実現するように歩んで行きたい、こういう考え方を「対象化」(対象論理)という。
 もう一つは(2)「一体化」(相即の論理)。仏教が教えるのはこれです。私という存在は宇宙中の事象が私と関係している。いろんな因や縁が無数に集まって(関係して)今の「私」という現象を仮に(常に変化している、無常)作り出している。因や縁がどれくらいあるかというとガンジス河の砂の数(恒河砂数)という。良いとか悪いとか好きとか嫌いとか敵味方という私の思いに関係なく全部が私との関連性のある存在で、無くてはならない、切っても切れない在り方をしているということです。ある4月のカレンダーの標語が『いい人、悪い人、みな私の都合』でありました。「私がいるのではない(無我)。私になったのです(因や縁が私になったのです)。私が行為をするのではない。行為が私を作ったのです」これは仏教の考えを上手く表現しています。この私というのは一刹那ごとに生滅を繰り返している。生まれては死に・・・・の生滅を繰り返して生と死が裏表という在り方で私が存在しているのです。
 私たちが学校(公教育)で習ってくる物の考え方(芸術、文化系の内容は除く)は「対象化」が基本のように思われます。物事を客観的に見て誰が見ても確かなものと考える事象を積み重ねて自分の人生を確かなものにしていこうとします。皆が見てはっきりしている、それは形で表せたり色で表せたり数字で表せたりするものです。唯物論的な科学的合理主義の思考で、現在の日本の世間一般の人々の思考方法です。
 しかし、この思考方法で種々の物事の全体像を正確に把握することが出来るのでしょうか?。
 この思考方法では形で表せないもの、白黒とはっきりとしない灰色の領域、そして感性・感情の部分は抜け落ちてしまうでしょう。ご縁のあった師は講義の中で、「母の涙」を分析すると、秋のもの悲しい季節に落ちることが多い、成分はH 2Oが何%でNaclが何%で、ボリュームが何ミリリッターで比重がなんぼだと。それに生物学的なものを加えると分泌様式は・・・・・・・・で、涙腺の平滑筋が緩むとポトポトと落ちる。そういうふうに分析的に一所懸命に調べて、それらを再統合したとしても「母の涙」も全体像を把握できるかというと、何かとんでもない把握になってしまっている可能性が高いと仰っていました。
 理知分別の普段の私たちの発想から、人間が生まれるという意味(事象)をどういうふうに考えるか。普通は、私は「父と母から生まれた」というふうに考えます。父母の精子と卵子がくっついて受精卵ができ、それが成長して私が誕生したと生物学的にもそう教えています。そこからは人間として生まれてきたことへの意味・意義を見出すことは難しいでしょう。時に、自分の現実を受け取れない場合や、親に不満の思いを持つときは、「頼みもしないのに親が勝手に生んで」とついつい被害者意識を伴ってそう考えがちになります。
 仏法はどう言っているか。善導大師が「観経疏」の中で表現している、私が人間として生まれてきたことのうなずきを「自の業識(過去の種々の要因の積み重ね)を内因として、父母の精血を外縁として因縁和合して私が人間として生まれた」と表現しています。仏教の基本「お縁起の法」に依りながら、「私がいるのではなく、私になったのです」、過去のいろんな因や縁が和合して私になった。「私が行為をするのではなく、過去の行為が私を作った」のですと教えていただきます。そして仏教の特記すべき特徴は、「自の業識」で表すものです。理知分別の科学的思考では、形・色・数字で表せない、実証できない「業識」を考慮にいれるというのはおかしいとなるでしょう。また「いったい『業識』とは何か」ということになります。

2.私の責任範囲
 1999年に法蔵館から出ている「ひとりふたり」という小冊子に次のような文章が出ていた。
『十年ほど前福井県板井郡のある寺院で過去帳を見る機会があった。各年は半紙一枚ほどの死者数だが天明期には二年にわたって数十枚の紙数が費やされていた。どの頁も法名・俗名・年齢の単調な羅列。だがさすがに町の文化財、どんな小説よりも圧倒的な迫力をもって無言の告発をしていた。まず子供たちが、続いて老人が女性が、だーっと無機的に記されている。これは御伽噺(おとぎばなし)ではない。210年程前だからおそらく六、七代前の先祖の人々が実際に体験した事実である。おそらく清く正しく美しくがモットーの家庭はまず全滅だろう。他人のものを盗んでも食いつなぎえたものだけが生き残る世界。平成の私たちに命を繋いでくれた先祖は親殺し子殺し妻殺しの地獄図の中を潜り抜けてきた人々だったのである。外国のある種の報告書では、このような体験者は容易に生殖機能を回復できずに自滅の道を歩んでしまうケースが多いと記されている。深すぎる心の傷を負った北陸の人々はボロボロになった命をいかに癒していったのか。当時の人々にとっての経典は蓮如上人の御文章だけであった。記憶しているものといえば、「たとえ罪業は深重なれども必ず弥陀如来救いましますべし」の他にどれほどもない。頭の中で済ますことの可能な機の深信(注1)の理解ならどんなに幸せなことだろう。罪悪は深重そのものの地獄図を体験した人々は「必ず弥陀如来救いまします」のわずか十数文字だけを唯一の支えとして以後の過酷な人生をかろうじて生き抜いていった……と私は思っている。』
 私たちは生まれてから死ぬまでが自分の責任範囲だと言いたいのです。しかし、この私の一個の命というものに命を繋いできてくれたものは、生命の誕生から三十数億年の間、ひとつも途絶えることがなかった。これは決定的な事実です。三十数億年の命の連鎖の中で今日の私があるのです。そうすると、過去の出来事は私の責任範囲ではないという考えはちょっと足りないと思われます。
 都合のよい過去から引き継いだもの(公的なシステム・公道などの生活の基礎基盤の事物)はお礼も言わず、当たり前と思ってすごしています。都合の悪いもの(戦争をはじめ、親の世代や祖先が引き起こした負の遺産)が出てくると私の生まれる前のことだから私に責任はないと無関係を装います。都合の良いものは当たり前と考え、都合の悪いものは関係ないと拒否して良い物だけを取り込もう取り込もうとしている私たち在り方は「餓鬼」根性の表れとみることができます。
 こういうことを仏教のお育てを頂いていくうちに知らされてくる。餓鬼というのは地獄・餓鬼・畜生と、仏教が人間の心のあり方を教えるなかで「三悪道」という中の一つです。これは「人間に成れてない」姿を表しています。
 私は四十歳位のときに中津の国立病院で医長という仕事をしていた。その時に東国東広域病院(現在の国東市民病院)に行かないかと打診があった。その時に、「本当に院長になれるのか?国立病院から町立病院だから何か都落ちするみたいだな、給料本当にあがるのか?」とか考えました。そしたら細川巌先生からお手紙がきまして、その中に「しかるべき場所に行って、しかるべき役を演ずるということは、今までお育て頂いたことに対する報恩行ですよ」と書かれてあった。その当時17年間の仏教のお育てを頂いていて、地獄・餓鬼・畜生という言葉は覚えていても、「お育てを頂いた」ということは思いもしてない。私が頑張って、こう立場になった、こういう役をしている、となっていたのです。
 すでに私があって、私がいい条件を集めて、私の思いを実現しよう、私の欲を満たそうという思考方法で生きていて、先生の「報恩行ですよ」という発想は全くなかった。まさに「餓鬼」そのものだった。「餓鬼」そのものだったなぁと思ったときに「あぁ人間になれてないとはこういうことなのだ」と。仏法の世界は生活のなかであぁこういうものだなぁという頷き、気付きだなぁと思わせられると同時に自分が人間の格好をしているけども人間になれてなかったと思い知らされた。そこが「人間に生まれてきた意義」ということに関係してくる。
(次回へ続く)
注1)機の深信:智慧に照らされ、生活の中で深く自覚される自分の煩悩性

(C)Copyright 1999-2017 Tannisho ni kiku kai. All right reserved.