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誰もが世界の中心に居ると感じる世界:同朋(真宗大谷派発行) No.705号 2010年1月掲載

1. 物事を向こう側に見る分別(1月号のつづき)

(4) 生き物を食べずには生きていけない

 有名になりました『おくりびと』という映画の中で、葬儀屋の社長さんが、「生き物はね、生き物を食べずには生きていけないんだよ。死ぬ気がなけりゃ、食べるしかない」と言っています。「美味しいんだよね、困ったことに」と、こういう場面があるんです。生き物は生き物を食べずには生きていけないんだ、というのが私たちの今生きている、生かされているということのあり方ですよね。
 それと同時に、いろんな因や縁によって私たちは次から次と変化するわけですから、「我」がないんだと。「無我」ということだと教えてもらっています。そして、縁次第では何にでもなりうる可能性を秘めた凡夫の私なんだと。私の仏法の先生の先生は、新聞の三面記事を見ながら、単に評論家的に悪いというんじゃなく、縁次第ではこの三面記事に出るような可能性を常に秘めている私だ、という思いで新聞を読んでいたんだという話を聞いたことがあります。
 私たちは今、みんなから非難されるような立場にいないとするならば、それはたまたまそういう巡り合わせで今ここに私がいるということであって、そういう縁に巡り合わなかったからです。新聞記事を賑わすようなスキャンダルを、私が同じ境遇にあったとするならば、必ずそういう役割を演じていたかもしれないという、いうならば「遇縁の凡夫」です。縁次第では何にでも変化する可能性を秘めた私である、と仏法はお教えていただきます。
 時間的に空間的に、無量の因や縁によって私は生かされている。支えられている。空間的というならば、「光明無量」といい、時間的には「寿命無量」といいます。「光明無量」と「寿命無量」を合わせると「阿弥陀仏」ですから、私は時間的、空間的、無量の因や縁によって生かされている。まさに「阿弥陀仏」によって生かされている、支えられているということがあるわけですね。
 「みえる命は多くのみえない命によって支えられている」というのは、生き物は生き物を食べずには生きていけないんだ、というふうな現実をみたときにわかったわけですね。時間的に無量というのは、最初私はなかなかわからなかったです。

(5) 責任範囲は生まれてから死ぬまでか(ここから同朋、2月号掲載)

 私は二十数年前、シカゴのノースウェスタン大学に留学していました。そのとき私を指導してくれた人や、研究者たちといろいろ話をする機会があったときに、第二次世界大戦の話になったことがありました。そのとき私は、「私は昭和二十四年生まれで、戦後の生まれだから戦争は関係ない」という発言をしたわけです。私たちはどうしても自分の責任範囲は生まれてから死ぬまでであって、生まれる前とか死んでからは責任の取りようがないじゃないかと、どうしても分別で思うわけです。だからついそういうふうに言ったわけです。そうすると、何となくその場がしらけたような雰囲気になったと感じることがありました。そういうことがありまして、あるとき、法藏館から出版されている『ひとりふたり』という小冊子の中に、福井県坂井郡のある記録の話が掲載されていたのを見ました。どういう記録かというと、あるお寺さんの過去帳が残っていて、毎年、半紙一枚くらいに五名から十名ほどの名前が書かれていたらしいのです。そしたら、天明の飢饉のときだけは数十枚の紙が費やされていて各紙に子どもの名前や女性の名前、老人など、無機的に羅列された名前の記録が二年間残っている。たぶん、村が半分くらい全滅するような飢饉だったかもしれませんね。その記録を見た方が、この天明の飢饉というのは今から六代から七代前の事実だったんだと。この時代に、一家の家訓を「清く、正しく、美しく」としている家庭はまず全滅だろうと書いてありますね。「親殺し、子殺し、妻殺しの生き地獄を生き抜いた人々のみが、今日私に命をつないでくれた先祖の人々だったのである」と書いてあります。
 これを見たときに、「えっ、そうか」と思いました。私は生まれてから死ぬまでが私の責任範囲と思っていたけれど、私に命を継いでくれた過去というのは、決してきれいごとではすまされなかったんだなと。そのとき、そのときの時代状況、社会状況をみんな一人ひとりが抱えながら、過酷な人生を生き抜いてくれて、命を今日までつないでくれたということです。
 今ここにいるというのはまぎれもない事実であると。自分の見える世界だけしか見てなくて、その背後にあるものが私には見えてなかったんだなという思いがしました。本当に時間的空間的無量の因や縁によって生かされ、支えられているということですね。

(6) 分別で仏教が分かるか

 仏さんの智慧の世界によって照らされて見える私というのは、「遇縁の凡夫」。自我の殻の中で、善悪・損得・勝ち負けを一生懸命、理性・知性・分別で考えていけば、きっといい人生が送れると考えているわけですけれども、仏さんの光に照らされてみると、私の理性・知性・分別というものの汚れというのを知らされてくるわけです。それは、唯識の末那識として教えてくれています。私たちの理性・知性は、我痴・我見・我慢・我愛、こういう煩悩によって汚染しているんだと、仏法のお話を聞いて、お育てをいただく中で知らされていきます。いくら私が正しい判断と思ってやっても、結局は我見・我慢・我愛ということで歪められる。言われてみれば、仏さんが私たちを見抜いている姿は、本当にそのとおりだなと感じざるをえないわけです。光明無量によって照らされる私の本当の煩悩性や愚かさ。まさに、殻の中にいて、そういうことで汚染されているわけですね。
 私が仏法をどういうふうに考えるかと言いますと、この殻の中ではいろいろなものの中の一つのように仏教を考えます。仏教は私にとって利用価値があるかないか、というふうなかたちで見るわけです。どういうふうに考えるかといると、仏法が全部わかったら、私は仏教を信じます。仏教が全部わかったら、私はお念仏をします、という根性がどうしてもあるんですね。
 どうしてかというと、私たちは向こう側に眺めて、この人は信用するに足りる人かどうかということを考えると、この人の考えていることや日々の行動、みんなの評判、そういうものを聞いて、「この人は信用するに足りる人だ」ということになってきたらこの人を信用します。それと同じように、私たちは、「私」という分別から、仏教を向こう側に眺めて、仏教が全部わかったら、私は仏教を信じます、仏教が全部わかったら、仏教の教えるお念仏をします、仏教がわかるまではお念仏をしません、という人が多いですね。その発想で本当に仏法がわかるのかというと、前提が間違っているわけです。仏教というのは、私のわかる範囲のものだと想定しているんです。言うならば、仏さんよりも私が偉くなっていますよね。

(7) 分別の基本に疑いあり

 七十歳過ぎの神経質過剰な人が、私のいる病院の心療内科に来られています。少しアルコール依存症の気もあるんだそうですけれども、心療内科の医師が、「動悸がするというから、先生診てくださいよ」と私の方に回してきたわけです。
 私が話を聞いたり、心電図を調べてみたけど、どこも異常がない。気持ちの問題だろうと感じ、本人も「先生、ワシは焼酎を飲めば治るんだけれど、なかなか嫁さんが飲ませてくれない」と言うわけです。私が抗不安薬という便利な薬があるから、抗不安薬を処方しようかなと思っていましたら、もう心療内科の医師が既に処方していたので、それに上乗せして処方してもしょうがないなと思って、話をしている中で、「あなたの宗教は何ですか」と聞いたら、「浄土真宗です」とおっしゃいました。
 それで、「今度、ドキドキっとしたときに、ナンマンダブツ、ナンマンダブツと念仏してみなさい」と言ったわけです。そしたら患者さんがニタニタしながら、「田畑先生、念仏したくらいじゃ良くなりませんよ」と言うわけです。奥さんが隣におりまして、すぐに「先生、この人は無信心で、仏さんにも参らないんですよ」と言うわけです。私が奥さんの方に、「あなたは浄土真宗ですから、毎日『正信偈』をあげてるんですか」と聞いたら、「私は『般若心経』をあげております」と言うわけです。
 私たちは、このお経が良い、悪いとか、『般若心経』が良いとか「正信偈」が良いとか、そういうのを選べると思っているわけでしょう。だから仏さんよりも偉くなっているわけです。だいたいそれが私たちの発想です。仏法というのはわかるものだ、私が品定めできるものだとついつい考えているんです。
(つづく、同朋の5月号まで掲載)

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