3月のご案内(B.E. Buddhist era 仏暦2554)

「念仏はなぜ難信なのか」(在家仏教講演、2011.1. より)前回よりの続き(第8回)

(20)知っているということの愚かさ
 仏さんの光に照らされてみて、自分は世俗のことは知っているということの「愚かさ」という表現がだんだん自分にぴったりとしてくるでしょう。「仏教を大事にしている」ということの傲慢さ、愚かさ、悪人の姿に目が覚めた、うなずけたと展開していくのでしょう。自分の愚かさ、仏法を無視して足蹴(あしげ)に踏みにじっているという私です、南無阿弥陀仏、とその私の姿がはっきりしてきて、そして私は救われない、私は仏さんから救われる手立ては何もない、という自分の姿に気づかされてくる時に、初めて、「我が名を称えよ、念仏するもの浄土に迎えとる」という呼びかけが聞こえてくるのです。念仏がかたじけなくも、お念仏があってよかった、です。いろいろ選択肢のあるうちの一つで、お念仏も持っておいた方が善いだろうではないのです。もう救われる手立てがない、救われるはずのない私、という目覚めのきわみにおいて、「我が名を称えよ、念仏するものを浄土に迎えとるぞ」と言う言葉、声が響いてくるのです。その極限みたいな状態で、お念仏をいただいていった人たちが龍樹菩薩、天親菩薩、七高僧、法然さんも親鸞さんもみんな同じだったのです。だから自分の凡夫性というか煩悩具足の救われがたい自分に気づいた時に、かたじけなくもお念仏が届いてくれてよかった、お念仏していこう、というこのお念仏に出会う時に、まさに念仏申さんと思い立つ心がおこったとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたもうなり・・・となっていくのです。

(21)全ての人が、最も簡単な方法で最高の救いを
 「私は救われない」という、仏さんの光に照らされて私の姿がはっきりした。私の自我の殻が照らしやぶられた時に、質を異にした、量ることを超えた仏のはたらきを垣間見るような感覚であおぎ見るとき、初めて「仏意はかりがたし」、と言われた法然さんの心に通じるのです。なぜ南無阿弥陀仏なのか、というのはわからないけども、この私を目当てに南無阿弥陀仏が届けられようとしていた、ということへのうなずきが起こります。そして救われるはずない、最もおろかな者を救うことができる簡単な南無阿弥陀仏という名前・名号を届けることで、無条件の救いが実現されてきたのです。仏の願いは、(T)すべての人を(2)最も簡単な方法で(最も愚かな者をも救うために)(3)最高の救いを実現しようとされているのです。
 お釈迦さんのさとり、目覚めの内容として、大無量寿経、観無量寿経の中で法蔵菩薩のご修行の功徳が私たちにお念仏として届けられていたのです。念仏には功徳が満ち満ちて、まさに法蔵菩薩のご苦労でかたじけなくもお念仏が私たちに届けられているのです。その届けられている歴史がお釈迦さんから龍樹菩薩をはじめ、七高僧の方々を通して、法然さん親鸞さんがはっきりと確立していただかれ、そして今日、私たちに本願のお念仏が届けられているということです。
 鈴木大拙という先生は大谷大学の教授をされていました、ある仏書を読んでいたら、ニューヨークで講演したときにこういうことを言ったらしい。ちょっと我田引水的なところもありますけども。「仏教はインドでお釈迦さんによってはじまり。中国によって大きな展開をとげ、そして日本に来て天才親鸞上人がまとめあげた。」まさにそうかもしれんなと。我田引水的でしょが。だけど、天才親鸞だったのです。その親鸞さんは「煩悩具足の凡夫」という自分の救われがたい姿に気づいたところでお念仏に出会ったということを言っているのです。天才だから、なにか私たちから言ったら途方もない距離のある高根の華、近寄りがたい人じゃなくて、まさに私と等身大の世俗を煩悩まみれに生きぬいていって、その中で本当にすべての人が救われる道をかたじけなくも説いてくれていてよかった、とこう言えるのかなと思うのです。

(22)すべての人に可能な救い
 昨年の9月、ちょっと余談になりますけども、韓国に私たちの大学の先生たちが研修旅行に行きました。プサンという韓国第2の大きな町に東亜大学というのがあって、そこに康(コウ)という教授がいらっしゃいます。韓国の仏教は曹溪宗(ソウケイシュウ)といって日本でいったら禅宗を主体としたような仏教です。韓国仏教の95パーセントが曹溪宗といっていました。その先生も曹溪宗で出家をして、その大学にいって、大学から東大のインド哲学の方に留学されたそうです。日本語も日本人と同じくらいにしゃべられます。そして、大学で早島鏡正(キョウショウ)というか浄土真宗の住職で教授だった人について浄土真宗と接点を持たれるようになったようです。そこでじっくりと浄土教をいただいたそうです。
 講演の中で、日本で「びっくりした」ということで紹介された話があります。どういうふうにびっくりしたかといったら、韓国の仏教は禅宗が主体ですから、基本は出家仏教なのです。だからお坊さんは対外的には結婚してないということになっているそうです。そういう建前なのです。
 朝鮮王朝の500年間は廃仏毀釈の歴史であって、僧侶は身分制度で一番の下の位に位置されていたそうです。そういう流れの中で日韓併合ということで日本の植民地になった。その時、日本の法律(?)で、お坊さんも結婚をしてよい、という法律を政府が制定していた。日本の場合は浄土真宗以外もこの法律で実質在家化してしまったわけです。それが韓国にも影響を及ぼして、韓国のお坊さんたちも結婚してもいいという話になったようです。だけど、第二次世界大戦後、独立後にある大統領が仏教は出家が本来の姿ではないか、と言うようになり、韓国の仏教界は出家仏教が復活したそうです。その在家化したことと、再び出家仏教になったことの種々のしがらみがその後の韓国仏教界に混乱をきたして、今はすこし落ち着いているが、まだその影響があるそうです。
 出家仏教、戒律を守る仏教ですから、お寺には制度の上では女性のいる場所がないのだそうです。そのためにお寺の中での女性の地位というのが非常に危ういのだそうです。いないことになっていると。そして、お寺の子どもと言うことは口をさけても言えない雰囲気なのだと。お寺では子どもができないのだと。だから女性の地位が非常に危ういのだけれども、日本に来たら、坊守という形でちゃんと女性の地位がはっきりしているということにびっくりしましたと言われていました。
 すべての人が救われるという仏教であるならば、性別関係なくして、すべての人が救われなければいけないはずです。それが本当の大乗仏教だということです。そのことが可能な道としてのお念仏の道ではないでしょうか。煩悩まみれの私が本当に南無阿弥陀仏というお念仏によって救われていく道を開いてくれたということは、この末法の五濁悪世を生きる我々には、非常に有り難いことであります。
 お釈迦さんみたいに出家して修行のできる人はいいですよ。まさに宗教的エリートの人たちがそういうふう仏道を進まれることは問題ないでしょうが………。お釈迦さんの在世の時代じゃなくて、まさに末法というか世俗で生きる私たちが在家として生きていこうとするならば、我々がまさに家庭をもつということは私たちの欲を認めた生活なのです。ということは煩悩まみれの生活をしているわけです。その私が本当に救われるというのは煩悩なくして救われるのではなくて、まさに煩悩の身で自分の煩悩性に気づいて、煩悩まみれの凡夫をも救わんがための浄土の教えであったのです。かたじけなくも南無阿弥陀仏があってよかったといって、そのお念仏で救われていく道を歩ませていくのです。(続く)

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