9月のご案内(B.E. Buddhist era 仏暦2557)

 お盆にまつわる法話二つ。(大阪光照寺、若林眞人師の文章から、HPより引用)
 (1)目連尊者が見たもの
 モッガナーラ(目連尊者)の誕生の地は、王舎城の北のコーリタ村と伝えられている。王家のバラモンの一人子として、父母の熱愛をうけて成長した。近隣の村に生まれたサーリプッタ(舎利弗尊者)とは幼な友達として互いに切磋琢磨して道を求めた。もしすぐれた師に出遇ったならば行動を共にしようと約束した仲であった。
 釈尊成道の二年頃、サーリプッタは仏弟子のアッサジ比丘から諸法因縁の偈を聞き、驚き歓んでモッガラーナに知らせる。二人は相携えて釈尊の弟子となった。やがて目連はそのすぐれた修道によって神通第一の尊者と讃えられることになる。 父母のもとを離れてながく出家の道を選んだ目連は、祇園精舎において初めて神通自在の境地に至ると、先ず第一に亡き父母を済度して養育の恩に酬いようと思った。神通力によって捜し当てた母は、なんと餓鬼道の身となって痩せ衰えはてた姿であった。
 目連は悲しみのあまり、鉢に飯を盛って母に供えた。むさぼる母はその飯を口に入れる。するとその飯は火炭となって母の口を焼いた。施そうとすればする程、それによって更に身を焼き苦しむ母。 泣き帰って釈尊に詣でて、愍みを請うた。
 「汝が母の罪は、汝ひとりの力にてはいかんともしがたい。九十日間の安居が終わる七月十五日は出家比丘の懺悔表白の日である。その日に麦飯・五菓・香油・臥具などをそろえ衆僧に供養すれば、彼らは一心にその供養を受けるであろう。清浄の戒を保つ聖衆の徳は大洋のごとく広大であり、その供養の功徳によって現世の父母のみならず過去世の父母も三途の苦しみを脱するであろう」【山辺習学師著『仏弟子伝』他参照】
 この伝説にならって、七月十五日に父母の養育の恩を報ずるために衆僧供養を行う行事が盂蘭盆会の始まりと伝えられる。 さて、目連尊者の見た母の姿とは何であったのか。餓鬼道とは貪欲愛着の結果として受けねばならぬ苦の世界をいう。目連は一人子として母の愛を一身に受けた。それは無償の愛に違いない。もし子に対して見返りを求める愛であれば、親は親であることを失う。餓鬼と化した母の姿は、一人子の目連を偏愛するゆえに為さねばならなかった罪の報いである。目連は哀れな母を救おうとしたがかなわない。それはまた母への偏愛であった。
 苦の姿の重さは、そのまま子を愛するゆえに作らねばならなかった罪の重さをあらわす。養育の手柄も語らず、見返りも求めず、子を愛したゆえの苦しみ。釈尊の慈語によって偏愛の執着から離れたとき、その苦の姿の中に養育の恩の深さを見た。その時すでに、目連も母も共に救いの中にあった。 『一味』656号

(2)お盆によせて
 「お盆の里帰りはね、家族の交通費だけじゃないでしょ。お供えやら、おみやげやら、それは物いりで、たいへんなんですよ。」とは、都会に住む人の嘆きです。
 「お盆はね、ご先祖が帰ってくるだけならいいんです。兄弟姉妹までが家族連れで帰ってくるでしょ。片づけから、食べるものの準備から、たいへんなんですよ。」とは、ご本家の嘆き。日本全国たいへんなんですね。
 ところで、ご先祖が帰って来るという表現が、当然のごとくに使われるのですが、それがどういう起源をもっているのかは、まことにむつかしい。
 五来重師は、『庶民信仰の諸相』の中で、「日本人の霊魂観では新精霊は、新魂であるとともに荒魂である。お盆はこの荒魂をむかえてまつることによって、その祟りやすい性格を和らげるのである。
 新魂はなぜ荒魂なのかといえば、生前の罪のために死後地獄の苦をうけるので、その怨恨が災害の源になると信じられた。そこで、できるだけ早く送り出すわけである。 とくに非業の死者の霊や戦の中でたおれた霊は、祟りやすい霊としておそれられた。 ところが、夏から秋にかけては流行病が発生しやすいので、これは荒魂が浮遊して災をおこすためだと昔の人はかんがえた。
 そこで、お盆には盆棚または精霊棚をつくってこれに荒魂をまねきよせ、お供物によって御機嫌をとりなすだけでなく、水を棚にかけて霊の罪穢を浄めてやる。……」と記されている。
 浄土真宗の家庭においては、こうした精霊棚などの鎮魂の作法はありません。これには、あきらかなお浄土という世界観があるからなのです。
 お盆のニュースには、きまって帰省ラッシュとお墓参りの影像が流れます。そのコメントには、又々、きまって「……先祖の霊を慰めました」とある。困ったものです。
 マスコミを通じて、こうした精霊観が日本全国に流されてしまう中に、私たちは置かれている。慰めなければならないご先祖とは、迷いの境界にある人なのでしょう。悲しいことに、お浄土という世界観を持たない人は、亡き人を迷いの身として扱い、ご先祖を恐れの対象とされることになるのです。どうやら、日本人の意識の中に、死者を恐れると言うことが、抜きがたくあるようです。
 ある日、タクシーの運転手さんとの会話に、街中を流しているタクシーは、決して乗車拒否ができないとのこと。お客とのトラブルに巻き込まれる可能性がいつだってありうる。
「そうですか、どんな人が乗ってくるかわからんというのは、おそろしいですわなぁ」
「お寺さんは、その点よろしいなぁ」
「どうしてですか」
「そらぁ、死んだ人が相手やもん、怖いことしまへんがな」
「なるほど、生きてる人間が恐ろしい」
 そう、煩悩を抱えた生身の人間ほど、恐ろしいものはない。そのことに気付かずに、死者を恐れの対象とするのは、恐らく我が身の生き死ににかかわってくるからなのでしょう。
 昔の日本人は、人間が死ぬのは、何かがとり付いたからだと考えた。それが自分にまで付いたらたいへんだと、すみやかに遠ざける方法をあみ出した。お葬式に見るさまざまな俗信はこうして生まれたようです。
 食べ物の恨みは恐ろしい、そこで、最高のご馳走だった白米を炊きあげて、茶碗に盛って最後の食事とし、茶碗を割って「もう帰って来たって食べる器はありませんよ」と、追い出した。ワラを燃やして煙で家を見えなくし、お棺をくるくる回して、眼を回すことにより、帰る方角をわからなくした。それがすむと、塩をさがして清めておこう、これでもうすっかりかかわりはなくなったと。
 なんとも悲しいしきたりですね。そうして追い出したものだから、年に一度は帰ってきてもらう。それがお盆と結びついたのです。暗い迷いの世界の人には火を焚いて、ご馳走を用意してお迎えをする。それでも長くいてもらうと困るから、三日ほどで帰って頂く。
 こうした事にとらわれたお方に聞きたいのです。何処から来られて何処に帰って行かれるのですか。その世界観がないでしょう。 お浄土を知らされたものには、もう迷いの世界には用事がないのです。なつかしきお方とまた会える世界を頂いたのです。恐ろしさなど微塵もない。季節の花とお供えを用意し、なつかしさをもって、今は亡きお方を偲ばせて頂く。それがお盆のひとときなのですね。 『一味』674号

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