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 現代医療におけるビハーラ運動(3)自照同人(自照社 2013年 第75−76号)
 計算的思考より根源的思考の重み(つづき)

 医学教育を受けて来た者は自分の思考の限界ということを知ることは非常に大事です。ある哲学者が思考について二種類あると言われています。それは根源的(全体的)な思考と計算的思考です。自然科学分野での関係者の思考は計算的思考になります。医学・医療の分野での思考もこれに該当します。
 科学領域での計算的思考というものは、思考の細分化・局地化です。つまり、分析的に見ていって、再統合しようと思考しています。しかし、人間全体や人生全体を考えうる時には理想的には再統合できそうですが、現実には不可能でしょう。分析的に観察する時、客観的にとらえられない部分や、白黒に区別のつかない灰色の部分が抜け落ちる可能性が多いのです。一部分を見て人間全体を見ていると思ってしまうようなあやまちの危険を含んでいます。
 全体的思考とは何かといったら、人間が物を支配・管理しようとしない思考のことです。物を管理するとか支配するという思惟は計算的思考です。全体的な思考とは、人間が「物のいうことを聞く」という態度だと言うのです。万物や現前の事実・現象が語っていることに人間がつつましく耳を傾ける。物が我々に向って語りかけている言葉を聞くということが、物を全体的に考えるということだと言うのです。
 詩や俳句をたしなまれる人は、自然や現象が語りかける心を聞くという態度で受け取り、文学的に表現するそうです。「自分が作る句」ではなく、「自然となる句」が良い俳句だそうです。詩的な世界をさらに深めた先に、根源的世界からの声に耳をかたむけるのが名号(南無阿弥陀仏)を聞く世界の展開でしょう。如なる世界から我々に本願として方便される名が南無阿弥陀仏、「汝、小さな計算的な思考を出て、大きな(根源的)世界を生きよ」なのでしょう。
生老病死の現場に仏教講座を開く意義

 従来のパターナリズムは患者を医療の専門家の医師が患者を管理・支配する発想です。医療の専門家が素人の患者に「よいようにしてあげる」という姿勢です。そこには患者の人生経験から学ぶとか、私に先だって病気を経験していることから学ぶという姿勢はどうしても少なくなるでしょう。
 人権を厳密に考えれば患者個人の意向を聞けばよいのですが、現実的には家族の意向も無視できません。まだ病名告知が始まろうとする平成の初めの頃、外科的に手術をできない状態の男性の癌患者を受け持ちました。毎日、朝夕顔を合わせながら患者には本当の病名を言わずにウソの病名と病状説明をしていました。どうしても隠しごとのある患者との対話はぎこちないことになります。患者の頭の働きもしっかりしているので家族に本当の病名を告げましょうと、提案したが、患者が本当の事を知って「がっかりして、生きる意欲を失う」ことを家族が皆で心配して告知をしないでくれてという。患者の状態が次第に悪くなっていく中で、効果の薄い対症療法しかできない医師への患者の目、病気を良くしてくれない医師への目は恨めしいように感じられることでした。
 老・病・死をどう受け取っていくかは患者・家族だけの問題ではなく日本全体の文化の問題だと思われるのです。「生きているうちが花だ、生きている内に人生を楽しまなければ」の文化を生きる人間はいざ、老・病・死に直面すると戸惑いと悲惨さだけになります。 自分の思考の分際が分からないと、自分の思考が全てだとなります。そしてそれ以外の思考を考えられないといって否定してしまうのです。それを知の傲慢というのでしょう。現代人の陥っている世界です。
 「仏の里、国東」、その公的病院の医療現場は生老病死のまさに現場です。四苦に悩む患者さんへ、その「救いの道が仏教にありますよ」、というメッセージを伝える場として門戸を開いておくという役割が病院内での仏教講座という意味だと思っていました。できれば医療者の仏教への意識変革をも願っていました。また宗教者の病院という場がまさに生死の現場として、人々の四苦が露呈されて救いを求めていますよ、寺や自宅から出た病院に現場があります、という意識改革ができれば願い、その現場で対応できる宗教者の誕生を願ってのことでありました。
 毎週の仏教講座は3回に一度は私が担当し、地域内の協力してくれる僧侶には年間、2から3回の出講をお願いしました。僧侶へのお礼の資金もありませんので全くのボランティアでお願いいたしました。途中から私の受け持った患者の家族から寄付の申し出があり、それを使って交通費ぐらいのまさに薄謝を用意するようにしました。仏教講座ですが、地域内のキリスト教の教会の人にも講師当番をお願いいたしました。
 仏教の師より「念願は人格を決定す、継続は力なり」という言葉を聞いていましたので、継続することを心がけました。同時に協力してくれる宗教者の意識改革を願って全国に目を向けて、そういう取り組みにすでに取り組んでいる人に年に一度病院へ来て頂き、研修会という名目で大分県下に広報して、職員、宗教者、一般の人を対象に講演会を開催するようにしました。そのご縁でいろいろな人との出会いがあり大いに刺激を受けて励みになりました。同朋大学の田代俊孝先生ともそのご縁で知遇を得ました。そのご縁が現在のビハーラ医療団につながっています。
 仏教講座は入院患者に限らず、家族、一般の人にも公開していました。入院患者はいつも250人ぐらいの病院でしたが、仏教講座への参加者は五から十人ぐらいでした。師より仏教の仕事は効率が悪いということをかねてからお聞きしていたので、参加人数はほとんど気にしませんでした。病院の中で仏教への門戸が開かれているということに意義を見出していましたから。
      疼痛緩和医療の進歩と共に 緩和ケアに重点が置かれる

 宗教者が老病死の現場で相談を受けるという発想を、一般の人達がするようになるためには、日本の社会状況、文化状況を「仏教が本当に大事だ」と考える雰囲気を持つものにしなければなりません。
 私は”仏の里、国東“の公的病院で約16年間仕事をしましたが、患者の側から、宗教者に相談したいという声を上げてくれる人は一人もいませんでした。医療の現場(急性期、慢性期、終末期を合わせて)で、宗教的なことを考える(患者ー医師関係にそういうことを話題にする人間関係ができていないのか)ことは私的なことであり、心の内面に留めていて、親しい家族のレベルでの会話になっていたのでしょうか。
 それとも医療現場では、宗教はほとんど一般の人には考えられずに、死後に関係すると考えているのでしょうか。日本の常識は、仏教は死んでからのことで、「生きた人間を相手の仏教」は非常にまれになってしまっているということです。
 日本の医療現場は、戦後、若者を死に至らしめる結核という感染症との闘いを、公衆衛生の改善と抗生剤の登場で克服しました。その後、生活習慣病に関係する脳血管障害による死亡もかなり改善して、現在の医療の大きな目標は悪性腫瘍の克服を目指しています。悪性腫瘍は60歳、70歳代での発症が多く、その根本治療を目指すことは当然ですが、日本人の3人に一人は治療の甲斐なく悪性腫瘍で亡くなっています。その過程で種々の症状の緩和ケア(ホスピス、ビハーラなど)が注目をされるようになり、今日では国を挙げて取り組まれるまでになっています。
 しかし、それまでの展開には先輩たちの苦労の取り組みがありました。今でもそうですが、根治的治療に医師の関心が向きすぎて、治療できなくなった患者への配慮が足りなくて、なりふり構わず延命治療に重点が置かれ、そのために患者の症状に十分な配慮がなされず我慢を強いて放置されていた時代がありました。人権意識の高まりと疼痛対策の進歩があり、生活や生命の質を考えた時、患者の症状の緩和も大事な治療であると気づきはじめたのです。身体的な疼痛対策は大きな進展をみて80−90%の身体的な痛みには対応できる時代を迎えています。
 日本人として生まれた50%以上の人が80歳を超える時代になっています。高齢社会の認識が高まるなかで、医療界に大きな変化が起ころうとしています。それは仏教の教える「生死を超える道」に通じるものです。
 一昨年のイギリスの緩和ケアの関係者の研究会で、高齢者には避けられない加齢現象の変性疾患も多くなり、死を避けるべき方向の治療から、「よき死」を模索する動向が起こってきているということです。そこでは単に延命優先ではなく、生活の質、日常生活の活動性を尊重した対応が求められようとしてきているということです。局所の病気の治療(キュア)から、病気を持った病人のケア(看護・介護を含む)に重点をおく方向性です。(つづく)

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