5月のご案内(B.E. Buddhist era 仏暦2558)

東北大学文学部に臨床宗教師を育てる講座を立ち上げるのに貢献した岡部健医師は本の中で日本の医療界に警告を発している。(「看取り先生の遺言」 奥野修司著 文藝春秋 2013年)

道しるべがなければ在宅地獄

(前略)日本では緩和医療学会のspiritual に宗教的ケアが入っていないように、日本人の宗教性を無視してきた。これが終末期を難しくしているのだ。当たり前だが、アメリカは9割がキリスト教徒なのだから、むろん宗教的ケアを入れているし、世界的にも宗教的ケアがないのは考えにくいのだが、なぜか日本は徹底的にこれを排除してしまった。
 宗教的ケアを入れなかったのは、日本人は無宗教だという”一般論“とは無縁ではないと思う。自分自身の宗教性を認識できない連中が、自分が無宗教だから患者さんも無宗教であると思い込んだのだ。しかし、今だって被災地では、津波によって一面の瓦礫と化した町で、形をとどめない建物の残骸を取り除きながら、「ご位牌が、ご位牌が」と探し回っ...ているのである。そして、泥の中から見つけた位牌を丁寧にぬぐい、「よかった、よかった」と喜んでいるのに、どうして「日本人は無宗教です」と言えるのだろうか。
 私から見ると、本当に無宗教なのは医者だけで、無宗教の患者はひと握りに過ぎない。既存の宗教を信じていないだけなのだ。お盆に帰省し、墓参りを欠かさないように、祖霊神を信じている日本人はたくさんいる。それなら、こうした祖霊神に基づいたケアプログラムを終末期医療に取り入れるべきだったのに、最初から無宗教だと決め付け、宗教的ケアを入れずに心理的ケアでやろうとするから、様々なところで問題が噴出しているのである。
 たとえば、持続鎮静と言って、亡くなるまでずっと眠らせておく方法がある。本人は望まなければやってはいけないことになっていて、アメリカ臨床腫瘍学会のガイドラインなんか見ると、アメリカでは10%以下である。ところが、数年間前の日本では、名門ホスピスでも30%を超えていて、今も平均して高い。欧米の緩和ケアが、鎮静率10%未満なのに、そこに対処できるプログラムがあるからで、日本のホスピスが高いのは、対処できる宗教的プログラムがないからである。
 合理的であることを求められる医療者が、不条理で非合理的な宗教性の問題なんてやれるわけがないのに、何とか医療でやろうとしているのだ。戦後のある時期から、医療がすべてを包括するような格好になったから、何でもやれると錯覚しているのだろう。やれないことまで無理にやろうとするから、患者さんに痛みを強いるのである。
 緩和ケアの基本は、自分のできないことを知ることである。患者さんから「つらい、苦しい、死ぬのは嫌だ」と言われても、宗教者ではない医者は、患者さんに「死への道しるべ」を示せるはずがない。結局、医者が持っている手立ては寝かせることぐらいだから、鎮静率が高くなるのである。
 鎮静は技術的には簡単である。麻酔をかければどんな患者さんでも意識は飛んでしまう。でも、よく考えていただきたい。それって、安楽死と同じではないか。だったら、安楽死を認めた方がよっぽどすっきりする。
 やがて団塊の世代がバタバタと死んでいく時代がやってくる。その時「死への道しるべ」を示せなければ、それこそ在宅地獄になるだろう。(後略)
 宗教に対する偏見は、科学的思考(計算的思考)が合理的で客観性を尊重して誰からも見ることができるガラス張りの思考で説得力があり、戦後から今日までの日本での物の豊かさ、快適な生活環境を実現するという実績を積んで来た、という自信がどこかに潜んでいるが故でしょう。私自身が学生時代に仏教の師との出遇いがなかったら仏教への偏見で仏教を時代遅れのものとして馬鹿(?)にして生きていたでしょう。
 学生時代に某宗教団体に属する後輩に、そういう思考で議論したことを鮮明に思い出すことができます。宗教に対する知識はないのに自分の編見に変に自信をもって科学的思考で議論するのです。そして客観性を尊重して、客観的に提示ができなければ認められない、という議論に固執していたのです。自分が無知であるという事を知らないことほど愚かなことはないと知らされ、今、そのことを思い出すと慙愧に堪えません。
 緩和ケアにおいては患者の人生観、価値観を尊重した対応が原則で、援助者の宗教の押し売りは認められないことは当然のことです。しかし、患者から求められれば宗教的な受け取りを患者の希望に沿った形で援助することは必要でしょう。釈尊の説法が対機説法 [1]であったことと軌を一にしています。
 欧米では入院患者100人に一人の宗教者 [2]を配置することが標準になっていると聞いています。その場合、一宗一派の布教のための宗教者は準公的な場所としての病院にはふさわしくないでしょう。そのために広く臨床の現場で多くの患者の宗教的需要に対応のできる宗教者が訓練されており、公的に認知されているのです。医師・看護師では対応できない患者の宗教的な苦悩に寄り添い対処する、その患者が深く宗教的なものを求めていると判断される場合は、できる範囲で対応するか、患者の求めに対応できる宗教者に紹介するという事をしていくのです。
 先日、西本願寺が経営している緩和ケアの病院「あそかビハーラ病院」 [3]の医師の講演を聞く機会がありましたが、その中で「今までの10数年の緩和ケアでの仕事は宗教なしで実施してきたが、欧米での経験などを学ぶと宗教的な対応が求められる症例もあると思われるので宗教者と一緒に取り組んで行きたい」という趣旨のことを発言されていました。
 日本全体の宗教状況は、唯物論的な科学的思考が圧倒的に多くなっている社会だと判断されます。最近発表された悪性腫瘍(がん)と判断された患者の1年以内の自殺率が欧米と比べて非常に高い [4]という事実も宗教性のないがためでないだろうか。「こんなに苦しいのなら、早く死んで楽になりたい」という発想です。死んだら何も考えないから楽になるだろうと、かってに思っているだけで、その想定が本当かどうかは分からないのです、唯物的な科学的思考ではそう考える傾向が強いと思われます。こういう思考する人は「私は無宗教です」と無宗教を誇るような発言をしますが、宗教的にみると唯物論的科学的思考を信仰しているといえるのではないでしょうか。日本の現在の文化全体の問題だと思われます。

註1.対機説法:相手の素質・能力に従って法を説くこと。相手の宗教的能力に応じてわかるように法を説くこと。
註2.チャプレン(英: chaplain)は、教会・寺院に属さずに施設や組織で働く聖職者(牧師、神父、司祭、僧侶など)
註3. 平成26年4月から診療所から病院へ転換した。現在厚生労働省は病院の新規の増設を認めていない中で認められたのは今後、悪性腫瘍の終末期への対応の需要が多くなることを想定してのことと思われる。
註4.がん患者:診断後1年以内に自殺…危険性は他の20倍、(毎日新聞 2014年04月22日) がんと診断された患者が診断後1年以内に自殺する危険性は、がん患者以外の約20倍(欧米よりかなり多い)に上るとの調査結果を、国立がん研究センターの研究班がまとめた。1年以上たつと差がなくなり、研究班は「診断間もない時期は、患者の心理的ストレスや環境の変化などには特に注意する必要がある」と分析する。

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