6月のご案内(B.E. Buddhist era 仏暦2558)
念仏の教えでの救いは観無量寿経の下下品(下品下生)のところに象徴的に説かれています。(口語訳)
「次に下品下生について説こう。もっとも重い五逆や十悪の罪を犯し、その他さまざまな悪い行いをしているものがいる。このような愚かな人は、その悪い行いの報いとして悪い世界に落ち、はかり知れないほどの長い間、限りなく苦しみを受けなければならない。
この愚かな人がその命を終えようとするとき、善知識にめぐりあい、その人のためにいろいろといたわり慰め、尊い教えを説いて、仏を念じることを教えるのを聞く。しかしその人は臨終の苦しみに責めさいなまれて、教えられた通りに仏を念じることができない。そこで善知識はさらに、< もし心に仏を念じることができないのなら、ただ口に無量寿仏のみ名を称えなさい>と勧める。こうしてその人が、心から声を続けて南無阿弥陀仏と十回口に称えると、仏の名を称えたことによって、一声一声称えるたびに八十億劫という長い間の迷いのもとである罪が除かれる。そしていよいよその命を終えるとき、金色の蓮の花がまるで太陽のように輝いて、その人の前に現れるのを見、たちまち極楽世界に生れることができるのである。(後略)」
このお経を彷彿(ほうふつ)させるのが宮崎幸枝先生の経験した症例です。
平成九年のお正月、本当に嬉しい一枚の年賀状が届いた。そこには、「明けましておめでとうございます」その後に、「人間に生れて本当に良かったと思えるようになりました。ありがとうございます」とあった。
それは、その前年十二月、多分一生忘れないであろう状況を病棟で共に体験したことに由来する言葉であった。 それは究極のいのちと時間の共有であり、人間同士、本当のいのちの出遇いがあるとはこういうことではないかと思われるような体験であった。 そのことに由来する年賀状のこの一言、「人間に生れて本当に良かったと思えるようになりました」が私を喜ばせ、忘れられない年賀状である。
平成八年十二月十三日:病棟に入る。主任より報告を受け、真っ先に戸田さんのいる重病室へ。ドアを入ると、担当のAナース(トミちゃん)が「待ってました。早く指示をください」という目で私をみる。
ベッド上、患者さんの耳介のチアノーゼだけが遠目にも鮮烈に視野に飛び込んでくる。濃い真紫色の耳。Aが血圧、脈拍、呼吸、尿量とそらんじて言う数値はいずれも、末期的な数値ばかり。点滴へ、側管へと数種類を指示。 胃ガン摘出後四年を経て、この度は肺へ転移。長いお付き合いの戸田さん。八十四才女性。 目も耳も良く、頭はしっかりしていた。
数日前のこと、「今度は治らないかもしれないね」と言うと。「そう?」と、細かいが、はっきりした声。 そして「やっぱり・・・・」という淋しげな表情。「戸田さん、たとえ戸田さんがいま命おわったとしてもね、戸田さんはこれでおしまいじゃないのよね。ビハーラで聞いたお話覚えているでしょ・・・」 と仏さまのお慈悲のお話をした。まだ症状は軽く、ゆっくりお話ができた。
今日様態は一変した。厳しくせっぱつまった状況である。眉間(みけん)に深い縦じわが寄り、まるで般若(はんにゃ)のお面を見るような・・・と思った。不安と苦痛の眼が私を凝視し続けている。
「どこが一番苦しいですか?」「ゼンブ!」「何が一番不安ですか?」「ゼンブ!」 聞くと即座に、聞いたことを跳ね返す勢いの答えが来た。全身「ゼンブ!」である。辛い。医者もナースもこれが一番辛い。と、いつの間にか、先日の仏さまのお話の続きが自然と私の口を動かして始まった。
戸田さん、お念仏はね、仏様が〈わたしを頼りにしておくれ。必ずお浄土にあなたを迎えてお悟りの仏さまにするよ〉という仏さまのお声なのよ。 お浄土があるよ、仏さまと一緒にいるのだよ、と。今、仏さまは戸田さんをだっこしてくださっているのよ。心配ないのよ」
「うん」「お浄土があってよかったね。私も戸田さんの後から必ず往くからね。お念仏しましょう」 そう言い終わった時、突然戸田さんの眉間のしわが消えてなくなった。ビックリした。アレッどうしたの?と思う間もなく、そこに満面の笑みがあらわれた。
「ナンマンダブツ ナンマンダブツ」と称名され、「センセ、アリガト!」と言われる。 よかった、よかった・・・。とその時、びっくりすることが起こった。
今まで戸田さんの足もとで点滴の側管注射などの処置をしていたAナースが、突然大きい声で、「戸田さんよかったね、戸田さん安心できてよかったね」と戸田さんの枕元に駆け寄り言った。その大きな目には涙が光っていた。彼女の感動が伝わり、私も涙をこらえずに泣いていた。
人間の、科学の限界である。三人三様の無力感の中に、知らず知らずのうちに仏語に頭が下がっていたのだろう。仏様の大きなお慈悲の前に、三人は裸のいのち三つをそこに並べていた。
「戸田さんよかったね」 と言うのは、実は戸田さんが良かっただけなんでしょうか。 このとき、重症室にはこの三人しかいませんでした。 三人が一つになって阿弥陀さまのお話を聞いていたんです。今、戸田さんの命は、長い人生の最後のところにきている。 戸田さんの命の限界、医療の限界、科学の限界、人間の限界なんです。
私とトミちゃんは 「もう戸田さんを救ってあげることはできないの。 ごめんなさい」 としか言いようがない。 三人とも本当の限界を知ったんです。本当の無力感の中で、阿弥陀さまの前に頭が下がりきったんでしょうね。 阿弥陀さまの大きなお慈悲の中で、日頃三人は 患者さんであったり、 看護師であったり、 医者であったりと、そういう殻をかぶっておりますが、そのときはそんなものは全部脱ぎ捨てて、本当の一人ひとりの命そのままをむきだしにして、三人がそこにいたんだと思います。 阿弥陀さまの 『無条件で平等に救いたい』 という願いのおはたらきの場所が、お念仏のところです。
お念仏は呪文じゃありません。 阿弥陀さまがはたらいてくださっている場です。そのことにトミちゃんは生まれて初めて出遇った訳です。 彼女が 「戸田さんよかったね」 というのは、実は戸田さんがよかっただけではなくて、自分の行き先が分かったんです。 「お浄土があったんだ、安心してよかったんだ」 と、初めてそこに大きな喜びと安らぎを見いだしたんでしょうね。
トミちゃんという人は、実は「ビハーラ」が大嫌いだったんです。 ところが、この重症室の出来事、たった三分かそこらですけど、このお話を聞くまでは、トミちゃんの思いは 「長いこと戸田さんと付き合ってきた。 家族よりも親しく、情がうつるほどに看護してきた。 この情の移った可愛い患者さんが、もう亡くなっていこうとしている。 どこにいっちゃったんだろう」 であったかもしれません。 それが一瞬にして変わった。
そのあと、トミちゃんがナースセンターに戻ってきてこう言うんです。 「先生、お浄土の話を聞いた時は、本当にうれしかったわ。 戸田さんがお浄土に行けるって聞いてたら、何か私が行けるっていうふうに聞こえてきて、胸がホカホカしちゃった。 先生、お念仏って理屈じゃないんだよね」。 そして 「お念仏しなきゃ助からないとか、拝めば助かるとかじゃないんだよね」 って言うんです。 嬉しそうに何回も目をキラキラ輝かせて、何も知らない他の看護師さんに一生懸命伝えようと思って、この話をしていました。
私が救われるということは、私がお念仏するよりも先に届いていたんだ。 つまり、阿弥陀さまが救いたいと願っていることの方が、私が救われたいと思うより先に、もう届いているんだっていうことです。 お念仏するしないにかかわらず、お浄土はもう私に向けて用意されてあり、私はそのまんま死んでいきさえすればいいんだというご縁を頂いている。 トミちゃんは、戸田さんの死という、そういったピンチに直面した時に、絶望のどん底から安心の世界へ一気に変わった。 お浄土があって良かったなぁとなった訳ですね。 最高の安心を頂いた訳です。 そして、心からホツとして、彼女もお寺参りをし、聴聞しながら本当に喜んで、ついには顔つきまで変わりました。
(『ようこそ』第9号、医療法人精光会宮崎病院、平成9年5月発行) |