7月のご案内(B.E. Buddhist era 仏暦2558)

 「無知の知」とは調べてみると、プラトンによる書『ソクラテスの弁明』に記述されているという。その内容は以下のようだという。
 “ソクラテスの弟子カイレフォンがデルフォイへ行き「ソクラテスより知恵のある人がいるかどうか」尋ねた所、「ソクラテスより知恵ある人はいない」という神託を得た。ソクラテスはそれを聞いて不審に思い、賢者との評判のある人物を何人か訪れる。その結果、彼らは何も知らないかソクラテスよりも知らないかであり、人間に本当に大切だと思われる美しく善なるもの等については、何も知らない。それなのに、何でも知っているつもりになっていると批判した。”
 哲学者ソクラテスの言葉だという、「無知であるということを知っているという時点で、相手より優れていると考えること。また同時に真の知への探求は、まず自分が無知であることを知ることから始まるということ。」 英語では「知らないということを知っている」という意味の「I know that I know nothing (I know one thing that I know nothing)」で表され、しばしばソクラテスのパラドックス(Socratic paradox)とも言われる。ソクラテスに関するプラトーの記述の中でも良く知られている表現のひとつ、だそうです
 最近、同じ趣旨の文章に出会った。医学界新聞(医学書院)第3076号 2014年5月19日 ジェネシャリスト[1]宣言、ジェネラリスト(総合医)の「無知の体系」 岩田 健太郎(神戸大学大学院教授)

 ぼくらには「知の体系」というものがある。自分の知っている世界の体系が。でも,ぼくらは「自分の知らない世界の体系」というものを知ることができない。自分の知らない世界がどのようになっているのかはわかりようがない。
 だって,それがわかってしまえば,それは自分が知っている「知の体系」に転じてしまうのだから。これは考えてみると不思議な話だ。ぼくらは自分の「知の体系」しか知らない。その外にある世界がどのような「知の体系」を持っているのかわかりようがない。にもかかわらず,ぼくらはしばしば(まるでそれを知っているかのように)「他者」を批判する。 (中略)

 続いて、医学界新聞 第3080号 2014年6月16日では、スペシャリスト(専門医)の「無知の体系」 と題して、

 当然,スペシャリストにも「無知の体系」はある。というか,スペシャリストの「無知の体系」はかなり深刻だ。たいていのジェネラリストは自分の「知の体系」が不十分であることに自覚的だ。「世の中には自分の知らない『知の体系』がある」という自覚を持ちながら診療するジェネラリストがほとんどである。ていうか,そうあるべきなのだ。
 でも,スペシャリストには鼻持ちならない人も多く,自分の「知の体系」の小ささに自覚的でないことも多い。自分の「無知の体系」に無関心なのだ。自分は十分な知識と技術と経験があるのだから,もうわかってますよ,という態度である。 (中略)
 別の,やはりぼくが尊敬する微生物学の教授は,自分が病気になったとき,ぼくに電話してきた。「自分は感染症の治療を受けているんだが,どうも主治医は感染症に詳しくないみたいなんだよ。岩田先生だったらこの治療でよいと思う?」と質問してきたのだ。
 この先生は世界的にも有名なある微生物領域のオーソリティーで,ぼくが長く尊敬している巨大な知性の持ち主だ。そのような偉大な知性の持ち主だからこそ,「自分の知らない領域」についてはとても自覚的なのだ。自分の知識体系の境界線を上手に引けること,「自分の知らないことに自覚的であること」はある意味知性の証明でもある。頭の悪い人ほど,「何でも知っている」とうそぶくのだ。 (後略)

 サルは自我意識がないので、「我執」や「我が物」という執われがないという。餌があると食べたいだけ食べて後は残して去っていくという。チンパンジーになると自我意識が出てきて、餌に出くわすと食べると同時に、餌を持ち帰り仲間にえさを分けて与えることがあるという。
 チンパンジーは「我が物」という意識があるので仲間同士で物々交換をもするという。しかし、人間みたいに自分が最大限に儲けようとする交換までは思いがおよばず、一円の物と一万円の物を交換しても違和感を持たないという。
 チンパンジーの中のハヌマン・ラングール・チンパンジーは「憎しみ」をもたないという。研究者の報告では、そのチンパンジーはオスが多数のメスを統括するハーレム型の群れの生息をしている。時々勢力争いでオス同士の戦いが起こる。そして勝ったオスがそのハーレムを乗っ取るという。人間以外の動物は仲間を殺さないと思われていたが、この種族では乗っ取ったオスが群にいた先代のオスの子供を片っ端から殺してしまう。これは生物学的には自分の遺伝子を残し他の遺伝子を排除しようとするという点で合理的だし、子持ちのメスは発情しないのであえて子殺しをするという意味でも理にかなっています。子供を殺されたメスは殺害者であるオスに対して憎しみの感情を持たないようで、子育てをしなくなると発情して、新しいボスの子供を身ごもるという。
 これらは文化人類学という分野の研究の報告からの引用です。人間はこれらの観察結果を見て、サル、チンパンジー、ハヌマン・ラングール・チンパンジーの実態を知って、人間の自分と比較して意識レベルの進化・発達の違いによると理解することができます。人間は類人猿を超えた小賢しさを持っているから人間より未発達のレベルを理解できるのです。しかしながら、同時に理知分別のために苦しみ悩みを持つことにもなっているのです。
 仏教の智慧を、先達や善き師を通して知るようになり、智慧に照らしだされた自分の有り様、心の内面の実態の事実(愚かで迷いを繰り返している)に気づかされる時、驚きをもって仏の智慧に感動し、惹きつけられるのです。そして自分の今までの思考様式の限界のあったことを自覚するのです。ソクラテスのいう「無知の知」という事を仏教の教え、智慧を通してうなずくことができるのです。

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