8月のご案内(B.E. Buddhist era 仏暦2558)

 学生時代、大学紛争の真っただ中(昭和44年)で福岡市で学生生活をしていた時、授業がない(スト、ボイコット?)時は故郷の宇佐市に帰り、家の農作業の加勢をした。両親が交通事故で亡くなった後、伯父・伯母がわが家の農地を全部管理してくれていたのです。
 ノンポリ1であった私は学生大会の討論の中で議論を聞いていると、正しいことは正しい、間違いは間違いと言って進めていけばよい社会が実現できると、机上の理想主義に影響を受けます。一方、田舎で機械化の進んでいなかった当時の農業は手作業で田植え……、稲刈りである。皆さんと共同作業でした(収穫は私たち兄弟姉妹の生活費・学費に当ててくれていたのです。感謝してもし尽くせないのに忘恩の私です)。農作業の中での会話はまさに生活の現場での本音の話でした。頭でっかちな福岡での学生生活、一方宇佐での農作業は足を地につけた生活の具体的な現場です。その両者の立場での思考のギャップ(格差)がどうしてか、今、考えると当時の私は人生経験も乏しく、未熟であったがゆえによく分かっていなかったのでした。
 仏教(浄土教)に出遇って見てから思えることは、法蔵菩薩が私に来たって鬱々(うつうつ)とした心の動きにまでなって本願に出会う序曲のように私の状況を準備して整えてくれていたのでしょうか。
 現実の身の在り方を否定して(無視して)、思い描く理想を追い求める。それも利用できるものは何でも利用して自分の思いを実現するために使おうという自我意識の魂胆です。理想と言いながらも、結局は煩悩に汚染された利己心の満足を目指す方向性です。自分を生かし、支え、慈しみ、育てようとする縁ある人々の心を十分に受け取れずに、『当たり前』にして、物や道具のように手段化してしまう傲慢さでした。
 学生の授業ボイコットが進み、混とんとした中、政府は収拾に向けた動きをはじめ、収拾のつかない一部の大学は潰すという噂が流れた時、せっかく入学できた医学部生という身分が危うくなるかもしれないという事態を想像したとき、私の心は大きく動揺しました。頭の中で考えるきれいごとが吹っ飛んでしまうような衝撃でした。
 その当時、私が考えるとは、傍観者的に考えて、よい所をつまみ食いするように集めて、うまいこと小賢しく生きて行こうという事で、自分が問われるとか、自分が責任を負うという事は避けて、逃げようという心根だったのです。それがこの時は、自分自身の有り方が身体全体で問われるという衝撃だったと思います。当時まで約20年間の人生経験で、自分の主体性と言われるようなものはなく、社会や自分の周囲の状況次第で態度が変わる風見鶏(かざみどり)のごとき生き方をして、ただ楽を求め、苦しみのない方向性ばかりを思考して生きていたのでした。
 友人がすでに入寮しており、安い生活費で生活ができる(部屋代がタダ、食費だけ)という事に惹かれて仏教青年会(仏青)の寮に入ったのです。先輩後輩の交わりのある楽しい寮生活でした。しかし、入寮2年目(大学5年)に仏青の学生の総務(活動の中心になる者)になってしまいました。それまでは傍観者的に仏青の活動に参加すればよかったのですが、活動の牽引車のようにみんなを引っ張る立場になってみて、改めてそれまでの傍観者の姿勢を転じざるを得なくなりました。当事者になってみて経験することは社会や人間関係の裏表の現実です。同じ釜の飯を食べるというような付き合いになると、寮生のよい所も、悪い所も知ることになるのです。
 寮生個々の個人の倫理道徳観、価値観やわがまま、人間関係の利害損得の裏表に直面して、種々のやりくりをして仏青の活動(内側と対外的)をしなければなりません。そこで考えることは「なんでこんな苦労を『私が!』しなければならないのか」という本音の思い(傍観者根性)が出てくるのです。
 心の内面はそんなうつうつの毎日を送っている時、食堂に置いてあった新聞の「催しの物」の案内の記事が目に留まったのです。それは細川巌先生(福岡教育大学教授、化学)の主催される仏教講座の案内でした。好奇心と何か九大仏青の活動の指針になるような情報はないかと出かけて行ったのです。そこで先生のお話の中の「卵のたとえ」に触れたのです。
 私たちは卵の殻の中におるような存在なのだと。殻というのは「私が」「私が」という自己中心の思いです。その殻の中におる私はどうしたら仕合わせになれるだろうかと考える。みんなから善い人間だと思われたい、悪い人間だとは思われたくない。できることならば損をしたくない、得になることを心がけよう。できることならば勝ち組の方に入りたい、負け組の方に入りたくない。そういう善悪、損得、勝ち負けに考えながら一生懸命生きている。しかし、そういうことに振り回されながら結局は卵は腐って死んでしまう、というのが私たちの人生なのだと。
 しかし、卵は死ぬために生まれてきたのかというと決してそうではない。卵は親鳥に抱かれて親鳥から熱を受ける。熱というのは仏教で言うと教えという。その熱を受けていくと、卵黄の部分がだんだん成長し、ものを見る目、考える頭、食べるくちばし、羽ばたく羽、歩む足ができてきて、そして時機熟して“ひよこ”になる。このひよこになるのを禅宗では「悟り」といい、浄土教では「信心をいただく」ということなのだ。ひよこになってみて初めて自分が「殻の中にいたなあ」ということに気づく、と同時に大きな仏教の世界があるということに気づく。ひよこになったものは大きな光のもとで育てられ親鳥になっていくという歩みをしていく、これを仏になるという。
 大きな世界と言われる「仏の世界」との出遇いであったのだと、後になって気付かされます。出遇ってみると、出遇いにつながる心の準備が、すでに仏の働きとして、私の高校・大学生活の鬱々とした心の内面に潜伏して届いていたのです。それが時期熟して、よき師との決定的な出遇いのご縁になりました。よき師の背後には仏の心(阿弥陀仏の本願の世界)がはたらいていたのです。
 金沢大学の故出雲路暁寂先生の言葉に「われわれの内には、自分のいのちの成就を願う心、つまり生きたことが本当に生きたことになるようないのちを生きるまでは、死んで死にきれないというような、そういう最も内なる深い要求がある」があるそうですが、そういう言葉に自分自身の精神の遍歴を振り返るとき、「なるほど!」という思いがすると同時に「仏説無量寿経」に説かれている法蔵菩薩の本願に通じる世界であることが思われます。

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