1月のご案内(B.E. Buddhist era 仏暦2559)

あけましておめでとうございます。
本年も、聞法、精進の一年にしたいと念じています。

   「皆、同じ年である」と言う表現に出会いました。仏教の智慧の視点では我々の“いのち”の有り様を「生死一如」と教えてくれています。生物学的にも、必ず死ぬ “いのち” を、壊れる前に壊し(註1、註2)、再合成するという、絶妙なバランスで、我々人間を含めてすべての生物が “いのち” を維持していることが解明されています。
 「死」に裏打ちされた「生」というか、「死」と「生(誕生)」が一如になっているのが“いのち”の真実ということでしょう。死の確率は高齢者ほど高くなるでしょうが、我々の “いのち” の有り様は「死」を前にして、赤ん坊から100歳高齢者も「皆、同じ年である」という表現になったのでしょう。
 一日一日、一年一年、「明日はない、南無阿弥陀仏」「来年はない、南無阿弥陀仏」という気持ちで生きる私に導かれるような最近であります。
 煩悩に汚染された分別の目で見るとマンネリ化された日々のように思える一日一日も、死を前にした患者さんには貴重な一日なのです。我々の青春時代に見聞きしたことのある「愛と死を見つめて」(1963年)の中で大島みち子(21歳)は悪性腫瘍を患って入院生活の中で「健康な日を3日ください」と書いていました。その3日の間に是非ともしたかったことを次のように記しています。

「一日目、私はとんで故郷(ふるさと)に帰りましょう。 そして、お爺(じい)ちゃんの肩を たたいてあげたい。母と台所に立ちましょう。父に熱燗(あつかん)を一本つけて、おいしいサラダを作って、 楽しい食卓を囲みましょう。 そのために一日がいただきたい」

「二日目、私はとんで あなたのところへ行きたい。あなたと遊びたいなんていいません。お部屋の掃除をしてあげて、ワイシャツにアイロンをかけてあげて、おいしい料理を作ってあげたいの。そのかわり お別れの時、優しくキスしてね」

「三日目、私は一人ぼっちで、思い出と遊びましょう。そして、静かに一日が過ぎたら、三日間の健康をありがとうと、笑って永遠の眠りにつくでしょう」『若きいのちの日記』 大島みち子 著 より

熱望してやまなかった3日間の生活は我々のマンネリ化と言いそうな日常生活ではありませんか。

註1:細胞の死、細胞に高度の障害が与えられ、その細胞が元通りに治せない状態になると、その細胞は死に至る。こうした細胞の死には、壊死とアポトーシスとがあげられる。
註2:アポトーシス、細胞が自発的に壊れることをアポトーシスという。複数の細胞が、構成している組織ごと死亡する壊死と違い、アポトーシスは、1つの細胞ごとで単独で起こる細胞の死である。

昨年の暮れ、12月23日に宮崎大学医学部の林克裕教授の退官記念講演会、祝賀会に参加しました。医師の皆さんに「医療文化と仏教文化」の講題で話をさせていただきました。
 林先生とのご縁は、まさに「ご縁」としか言いようがない。彼は大学の4年後輩になりますが、2006年教育担当の教授になっていました。宮崎大学で学生のいわゆる「ウサギ解剖事件」がマスメディアに取り上げられ話題となり、大学が医学生教育の中で生命倫理、死生観などに取り組まなければならなかったという事情になっていたそうです。
 その時期のちょっと前に研修医が、一生懸命に医療(白血病などの治療)に取り組む中で「患者の死」に否応なく直面して、心が落ち込み、医療の取り組みへの心の壁を感じる医師がいて、「健康であれば幸せか」(法蔵館、駒沢勝医師著)(僧侶で後輩医師の栗田正弘先生から、この本をもらって読んでいた)を若い医師に読むことを勧めていたという。そういう伏線があったそうです。
 私(田畑)が西本願寺のビハーラ宮崎の研修会で講演依頼を受けていた西本願寺宮崎別院での講演「医療と仏教の協力」を、たまたま栗田先生から紹介されて、聞きに来られたそうです。その時の感想から生命倫理、死生観の講義を田畑に依頼しようと思ったそうです。それでご縁が出来て宮崎大学の医学生に私が講義をするようになりました。入学してきた学生さんに医学入門的な講義をさせてもらっていたのですが、林先生が私の講義を聞いて、医学部の五、六年生にも是非聞かせたいとの思いを持たれて年に二回出講するようになりました(大分県宇佐市と宮崎市はJR日豊本線で途中は単線です。大分駅での接続が良くても特急電車で片道約4時間以上かかります)。
 宗教の素養を持った医療者の多くなることを願わずにはおれません。
 人間を相手の医療に「宗教」が欠けていてよいのだろうか。私自身が医学生の頃、宗教なしで生きていけると思っていたが、よき師を通して浄土真宗、仏教に出遇って見て、自分のかっての了見が狭くて浅くて、愚かとしか言いようがないことに気付かされ、無知であったことに赤面の至りであります。宗教というと、明治以降の列強国との競争で富国強兵を目指して、天皇を中心にした神道国家体制が、多くの国民の犠牲(他国の人々の犠牲を含む)のもとに無条件降伏という結果で終戦を迎えたということに象徴されます。そのために宗教への拒否反応を多くの日本人は持ってしまいました。実証主義の科学的思考が日本社会を席巻して、無宗教すなわち世俗の科学的合理主義が多くの国民の信仰のようになってしまいました。その結果、経済的な繁栄を享受できたという成功体験もあって、その流れは簡単に軌道修正ができません。宗教がらみのゴタゴタはマスメディアで多くの報道がなされ、いわゆる宗教、及び宗教者への不信感が、その流れに拍車をかけています。
 多くの医師、看護師も唯物論的科学思考を信奉して、実証的な医学知識、医学技術で人間の医療は間に合うという発想に自信を持っています。最新の科学技術には絶えず目を向けていますが、哲学・宗教にはほとんど目を向けようとしません。(私も仏教のご縁がなかったならば、多くの医療人と同じ思考をして、宗教者の悪い面をあげつらって批判ばかりして、自分の無知さを恥じることは全くなかったでしょう。)
 仏説無量寿経(いわゆる大経)に説かれている48の本願の第一番目は、「「浄土には地獄・餓鬼・畜生がない」と説かれています。これは仏教なしで生きてゆくと、地獄・餓鬼・畜生の世界を生きることに「なりますよ」、「なっていますよ」との警告であろう。他人事ではない、私を含めて道俗ともに、「己が能を思量せよ」(『教行信証』化身土巻、東聖典331、西聖典注釈版380)、「己が分を思量せよ」(東聖典360、西聖典注釈版417)と私達に教誡されているのです。

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