4月のご案内(B.E. Buddhist era 仏暦2560)

 仏教の縁起の法から気付かされることに私という固定した「我」はない、「無我」であるということです。私の心を大事にするという表現がありますが、「私の心」という固定したものはない、たまたま因縁が集合して種々の感情、心を形作っているということです。そこ敷衍(ふえん)して「感情の奴隷になるな」という教えが導き出されます。

#1。金沢に専称寺という寺に高光かちよさんという坊守さんがいらっしゃいました。その方の体験談。
 上京してタクシーに乗ったら、その運転手がぶっきらぼうで愛想がわるい、黙りこくったままでろくにものも言わない。これは変なタクシーに乗り合わせたものと一瞬後悔したが、それは後の祭りで取り返しがつきません。高光さんはおそるおそる行く先を告げたものの全く反応も返事もしない。乱暴に車を発車させました。そしてポツリ『お客なんてのは私らには荷物並みなんだ』という。一瞬、『なんてことを』とカチンときた。
 普通の人であれば「あなたは失礼なことを言いますね。こちらはただで乗っているんじゃなく、きちんと代金を支払って乗っている客です。あなたにとって大事な客でしょう。何ということを言うんですか。」と反論するでしょう。
 ところが高光さんはムッとした表情ながらも、一息ついて『なるほど荷物並みか』と受け止めて『運転手さん、この荷物、大分古くってこわれそうだから、気をつけて運んでね』と、答えた、と。
 返事もないまま、しばらくしてその運転手が、会社への不満(註1.)を話しかけてくるんだそうです。そんなことを穏やかな顔で話をしながら、スピードをあまり出すこともなく、安全運転で目的地に届けてくれたそうです。車を降りるとき『あんた大分血の気の多い人みたいね。気を付けてね』というと『お客さん、あんたも帰り気を付けてね、この辺りには、私みたいの血の気が多くて無茶な運転をする人が多いからね』と答えて、ドアを閉めたそうです。
 かちよさんは、『嬉しかったです』と仰る。人間、何時なんどき、どんなレッテルを張られることやら解らぬけれども、何をいわれても『なるほど』と、そのままに受け止める。だから自分がそこに馬鹿だと言われたら、馬鹿になればいいし、荷物とはそれでも予想しなかったんですが。だけど、あ、荷物か。荷物にならなくちゃならない場合があるんだなあと思ったそうです。これが如来さまより賜った智慧でしょう。

註1.「お客さん、今朝車庫を出る時、配車係と喧嘩してね。こちらの挨拶の仕方が悪いって言いながら文句を言ってきた。今考えると、もう少しきちんと挨拶をすればよかったのかも知れない。昨夜は家で少し嫌なことがあって家族と喧嘩になり。そのせいで気分がイライラしていました、など。」

#2..田畑の個人的な経験(平成21年) ……表面上は冷静に対応している
 90歳の男性が寝たきり状態で地域の中核病院の医師会病院から転院して入院してきた。意識障害、寝たきり状態、四肢の拘縮あり、経胃瘻経管栄養状態である。入院するときに、療養型病棟に入院して来る患者は既に全身状態が良くなくて寝たきり状態になっているので当院では不自然な延命処置や気管挿管での人工呼吸、心臓マッサージなどの蘇生術はせずに、看まもりを主にしていますのでと、説明をして入院していただいていました。
 入院して2週間ぐらいした時に、患者が嘔吐をされたのです、看護婦さんが気付いて口の中をきれいにして気道の吸引などの処置をしながら、主治医の私に夜の7時頃、連絡があり、私はすぐに病院は駆けつけました。おおむね処置はしてくれており、私も口腔内と気道に明らかな異物をないことを確かめて、顔色が悪いので酸素を毎分3リットルをマスクで送るようにして経過をみましょうと看護師に話をして、家族にもその旨を電話して経過を見ることにしました、その後は看護師に任せて帰宅しました。
   夜も10時過ぎ病院の看護師から「その患者の3番目の娘でナースをしている人が『医者を呼べ』と叫んでいます」と電話があり、すぐに病院へ数分もせずに行きました。患者の顔を見ると顔色が悪く、患者の状態は改善してなく、悪くなっているのが分かりました。入院時に“看まもり”でと話をしていたので何もせずに同室していると、そのナースをしている娘さんが「先生、酸素を5,6リットルではなく、どうして3リットルなんですか」と私に言う。みまもりと言うこともあり、毎分3リットル で経過をみていたのです。3リットルに不満をぶっつけてくる。それで希望通りに6 リットルに上げた。すると今度は「この病院は酸素吸入をするときに加湿器を使わないのですか」と病院の処置に不満な口調で私に言う。しばらくすると「どうしてこんな状態なのに点滴をしないのですか」と私に不満をぶっつけてくる。家族の意向に沿って何とか苦労して細い血管を探して点滴を開始した。
 患者の状態が次第に悪くなり、他の家族が「じいちゃんを呼び戻さないと、あっちに行ってしまうぞ」と、「オジーチャン」と家族が口々に大きな声を出す。他の家族が『ここにいては死んでしまう』と言い、大きな病院へ行かなければと「医師会病院へ転院させてくれ」という。
 医師会病院から紹介で転院してきた患者さんであったのですが、夜中で全身状態の悪い患者さん(老衰に近い患者さんでもある)を紹介しても、医師会病院でも医師や看護師が潤沢にいていつも用意して待っているわけではないので、高齢者の老衰に近い患者をこの時間に紹介するのは私にはできません。家族がどうしてもと考え、個人的に前の主治医にたのむのだったらそちらでして下さい、と私は説明した。
 しばらくすると別の家族が医師会病院の医師が良いと連絡がついたと言ってきた。事情を説明して医師に伝えようと、改めて電話したら、その医師はこの時間帯に老衰に近い患者の終末をどうして医師会病院へ戻してくるのか、と言わんばかりに言われて、その気持ちは十二分に分かった。再度病室にいって患者をみると呼吸状態も悪く、搬送の途中で心肺停止の状態になりそうなので、その旨を家族に説明して私の所で看ることにした。
 今でも、思い出すだけで、当時のイライラな感情が再現される。

#3.前任地でのこと……感情の奴隷に。
 公的病院の院長の頃、事務長といろいろ相談をして、私の思いを伝えていたとき、事務長はどうしてそれが必要ですかと私に問う。私は種々説明して事務長の理解を得ようと話をしていたが、理解してもらえない。その内容は本来ならば、事務長が種々検討して院長に具申して決済を求めるような内容であるのに、院長の私が事務長(公務員で年功序列で就任)に上申するような展開になっていることに、しだいにいらいらとしてきて、温厚と言われている私が怒って、感情任せの言葉を発してしまった。念仏を頂いていても縁次第では種々の感情が起こって来る、南無阿弥陀仏。
 改めて「感情の奴隷になるな!」(仏教を頂く者のたしなみ)を念仏と共に憶念します。

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