7月のご案内(B.E. Buddhist era 仏暦2561)

 最近、医師で浄土真宗の教えを受け取っていかれた人の自叙伝を頂いた。その題名は「一筋の道」(わが生涯は恥多し、されど悔いなし 有り難き)、(丹保三郎著、整形外科医、北海道、90歳で死去)である。
 戦争の時代、福島県出身で軍国少年であった彼は陸軍予科士官学校に入校、入校した日「立身出世が目的で来たのなら、お門違いぞ。小隊長で戦死できるか」と釘を刺された、と言う。その後陸軍士官学校に進み陸士58期生として卒業。関東軍(満州)に小隊長として配属させられるも、日本防衛のため内地に移動になる。その後2カ月で突然停戦の命令を受け終戦。「信じられなかった。ようやくに気が静まってきて、まっさきに思ったのは、『俺は生きておれない』という自責の念であった」という。その時は、連隊長の懇切なる説諭と周到な周囲の警戒により、幸いにも事なきを得た。
 その後紆余曲折があって、日本医科大学予科入学、医学部に進み、同級生の念仏を学ぶ友(山口県出身)に出合い。友を介して仏教の師に出遇っていったという。
 (「遇う」の言葉は出会うはずのないものがたまたま出会ったという時に「遇う」を使います。)
 著書の「結語」の文章を紹介します。

 軍隊生活によって、自分にはまごころというようなものは微塵もない、為せば成るという自分を恃(たの)める勇ましい力などもない、この二つのことを骨身に徹して知らされた。これは、その後人生に立ち向かう際の、大事な心得の基盤になった。それを知るのが16歳から20歳というもっとも感受性の旺盛な青春期であったのは、なんという僥倖(ぎょうこう)であったろう。そういう下地があったればこそ、比較的すんなりと、念仏を受容できたのだと思われる。さもなければ、疑い深い私のような者が、いかに熱心に勧められたにしろ、そう易々と、弥陀の本願を信じ、現在に至るまで脇目もふらず没入するはずはあるまい。
 長い闇の夜を彷徨(さまよ)い、その間いくつもの厳しい現実に突き当たり、跳ね返されたり挫折させられたりした。そうやって身に着けた智慧は、一つや二つではない。
「さるべき業縁の催せば、いかなるふるまいもすべし」(歎異抄)
がそのよい例であり、
「他力の悲願はかくのごときのわれらがためなりけり」(歎異抄)
というのも、逸することのできないご訓戒である。
 どうしても自力の世界から脱却できず、絶望しかけたとき、次のようなご和讃に救われたこともある。
「信心の人に劣らじと疑心自力の行者も如来大悲の恩を知り称名念仏はげむべし」
 そうやって五百歳、自力の念仏を称えていれば、他力往生が成就するといわれるのだった。仕方ない。他に方法がないのだから、五百年待つしかあるまい。そう諦(あきら)めた。それでも諦め切れない。未練がましく「正像末和讃」を指でなぞりながら狩猟していると、次の一首が眼に止まる。
「定散自力の称名は果遂(かすい)の誓いに帰してこそ教えざれども自然に真如の門に転入する」
 私は我が目を疑った。長年私が探していたのはこれだった。はしなくも、ようようにして、果遂の願に出会うことが出来たのだ。
 果遂の誓いと言うのは、本願を信じてここまで来た念仏者は、如来が必ず、真実報土に往生せしめるとご誓約して下さるのである。自力の信心であろうと疑念の混じった念仏であろうとかまわぬ。安心して声に出して念仏申しなさいと仰せになるのである。果遂の願を信じ任せれば、自然(じねん)に、往生させて下さるというのである。なんと有り難いことであろう。
 人は為せば為したで悔い、為さなければ為さなかったことを悔いる。
 人はまた、生きるためには、他の生き物の生命を奪い、それを栄養源にしなければ生きていけない。生きる限り、人間は一生造悪である。このことを肝に銘じておかなければならない。決してうぬぼれてはならぬ。
 これが最後と思い、何か書いてみたかった。とりとめのないものになったが、そして同じことの繰り返しも多い。しかし、大事なことは一つしかない。「念仏のほかはすべて妄念妄想」これである。立派そうな決意も、賢そうな反省も、あてにならない。善くも悪くも、すべてはお念仏のタネになる。
 この事が、90年かかって、私にはよく分かった。有り難うございました。

 この丹医師には20数年前に一度お会いしたことがあったが、その後お会いするご縁がないまま、90歳で亡くなったとのたよりをどこからともなく聞いて、その後この本を入手した次第です。
 浄土真宗が一番大事するお経が「仏説無量寿経」です。そのお経には、法蔵菩薩が仏法の師に出遇い、仏道を歩み始める。そしてすべての衆生を救う願いを起こし、それを実現するために「浄土」を建立(こんりゅう)した物語が書かれています。浄土を作るために48の本願が説かれているのです。
 その17番目は「諸仏称名の願」(第17願)と言われ、諸仏がたが仏の名(南無阿弥陀仏)を誉めたたえることが誓われています。分かり易く言うと、仏法に出遇った人は仏の名(南無阿弥陀仏、名前となった仏さん、方便法身)を褒めたたえて、皆さんへ勧めて下さい、と誓っているのです。
 法蔵菩薩は迷える衆生を救うために「浄土」を建立しますが、すべての人を無条件に救えるように浄土を整えていかれたのです。まず、そこに往けば必ず仏の成ることが出来る。それは皇太子である者は必ず天皇になる、とか、入学試験合格した者は必ず入学できる、ような意味です。同時に浄土ではあらゆる存在が菩薩として私を育て、励まし、鍛えて、温かく見守り成仏させるようにはたらいている場にすると誓っているのです。
 その心をさらに訪ねると、我々が理知分別で「渡る世間は鬼ばかり」と対象化して見ている、迷いを指摘して、仏の智慧の眼では、あるがままをあるがままに見ると、この世界は「渡る世間は菩薩ばかり」(吉川英治の「我以外皆師」)と見えます、と教えようとしているのです。(具体的には、いろいろな現実に出合と時、それを善悪、損得、勝ち負けなどを計算するように見るのは避けられませんが、同時に「この現実は私に何を教えよう、気付かせよう、目覚めさせようとしているのかと受け取るのです)
 それは我々の理知分別の在り方が、自己中心的に対象化して見て周りの存在を物や道具としてみている。同時に理知分別がどっぷりと煩悩に汚染されている。その為に物事を正しく見ていないことを指摘するのです。
 生身を持つ(煩悩具足)我々は生きている間にこの世では悟りは開けません。しかし、この世で生きているうちに、「必ず仏になる身に定まる」(正定聚不退転)のが浄土教の救いの世界です。仏の心を聞かせて頂き、自分の愚かさに目覚め、素直に仏の心を受け取り、「南無阿弥陀仏」と念仏することが大事です。妙好人才市は自問自答して「浄土はどこだ? ここが浄土の南無阿弥陀仏」と念仏が出る時、浄土を垣間見る場に身を置くことを味わっているのです。

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