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妻が願った最期の「七日間」、という投稿。2018/03/09付「朝日新聞」「声」より
涙がにじむ。結婚して52年。昨年11月に突然の入院。すぐ帰るつもりで、そのまま1月不帰の人となる。1月中旬、妻容子が他界しました。入院ベッドの枕元のノートに「七日間」と題した詩を残して。
《神様お願い この病室から抜け出して 七日間の元気な時間をください 一日目には台所に立って 料理をいっぱい作りたい あなたが好きな餃子(ぎょうざ)や肉味噌(みそ) カレーもシチューも冷凍しておくわ》
詩の中で妻は二日目、織りかけのマフラーなど趣味の手芸を存分に楽しむ。三日目に身の回りを片付け、四日目は愛犬を連れて私とドライブに行く。《箱根がいいかな 思い出の公園手つなぎ歩く》五日目、ケーキとプレゼントを11個用意して子と孫の誕生会を開く。六日目は友達と女子会でカラオケに行くのだ。そして七日目。《あなたと二人きり 静かに部屋で過ごしましょ 大塚博堂のCDかけて ふたりの長いお話しましょう》妻の願いは届きませんでした。詩の最後の場面を除いて。《私はあなたに手を執られながら 静かに静かに時の来るのを待つわ》容子。2人の52年、ありがとう。(2018/03/09付「朝日新聞」「声」より)

 この夫婦の結婚の3年前に以下の本が出版されている。映画化されたので読んだか鑑賞されたのでしょう。「愛と死を見つめて」大島みち子さんが書き残した日記集。マコこと河野 実とミコこと大島みち子の3年間に及ぶ書簡集を書籍化したもの。顔に軟骨肉腫ができる難病でわずか21年の生涯を閉じたミコ。本の中の文章の一部。「私に、健康な日を3日だけ下さい」 1962年08月05日の日記より。大島みち子さんは、顔に軟骨肉腫ができる難病となり、手術で顔の半分を失いましたが、さらに病気は悪化、22歳の誕生日の前日1963年8月7日に、自らのメモリアルデーを刻んで、この世を去って逝きました。 テレビで「マコ、わがまま言ってごめんね。ミコはとってもしあわせなの」という歌とともに、全国の若者たちを感動させたお話です。 「健康な日を3日下さい」というのです。

1週間とは欲張らない。10日とは欲張らない。たった3日でもいいから、健康な日が頂きたい、というのですね。もし頂けたらこう生きたいという詩なのです。
1日目 わたしはとんで故郷に帰りましょう。 そして おじいちゃんの肩をたたいてあげて、 母と台所に立ちましょう。 父に熱カンを1本つけて、妹たちと 楽しい食事を囲みましょう。
2日目 私はとんであなたのところにいきたい。あなたと遊びたいなんていいません。お部屋の掃除をしてあげて、 ワイシャツにアイロンをかけてあげて、おいしい料理をつくってあげたいの。そのかわりお別れのときやさしくキスしてね。
3日目 わたしは、ひとりぽっちで思い出と遊びましょう。そして、静かに1日が過ぎたら、3日間の健康ありがとうと笑って永遠の眠りにつくでしょう。

 なんとつつましい願いでしょう。 たった1日の健康な日も許されることなく、死んでゆかねばならなかった大島みちこさんでしたが、もし1日でも健康な日が許されるとすれば、大島みちこさんは、どんな思いで故郷へとんで帰ったことでしょう。 そして今生最後のおじいちゃんへの肩たたきを、精いっぱいの思いでたたいてあげたことでしょう。 今生最後のお父さんへのお酒のお燗を、心をこめて最高においしいあんばいにお燗して、お父さんにすすめたことでしょう。今生最後のお母さんとの台所仕事。またという思いがあればいいかげんになります。これっきりと思えば手を抜くこともない。精いっぱいの真心を込めてお料理をしたことでしょう。 かえりみれば、私たちも誰一人として明日の命を確実に保証していただいている人はいないはずです。
 人には必ず終りがある、それは誰にでもです。「今日一日を生きる」とは、正にそう言う事であって、今日が「終りの日」と心得、心を尽くす事。特別な事ではなく、日常の些細な事に、です。彼女にとっては、このたったの三日間でさえ叶わない夢だったんです。  仏教の教える世界の表現として「存在の満足(知足)」(今村仁司著、『清沢満之の世界』による)があります。私たちは存在することを当たり前、当然として、そのことへ関心を向けない傾向があります。しかし、仏教の智慧はそのことへの目覚めの視点の大事さを教えます。仏教の智慧の心を、「ものの背後に宿されている意味を感得する視点」と表現することがあります。前に掲載した記事はまさに日常性の日々の生活場面に大事なことが潜んでいることを示唆しています。
 大峯顕氏講演碌(一部田畑の取意)によると、フィヒテ(1762-1814)の「生の哲学」において、実体的な魂の存在に批判を加えた人でした。彼は次のように言っています。キリスト教の言うような魂の不死・不滅については何一つ言わない。なぜならそんな実体的な魂は存在しないからである。自分の哲学にとって何があるかといえば、いたるところ生命がある。死はない。死はどこにあるかといえば、ほんとうの生を見ることができない人間の死んだ目の中にあるだけである。したがって、人間は死ぬと言っている人は本当に生きていない人で、初めから死んでいる人だとフィヒテは言っています。
 これは真理ですね。「死が怖い」と言っている人は、ほんとうの生を知らないからです。だから、死んだら困る、という人にだけ死があるのです。「死ぬことは阿弥陀さんにまかしてあります」という人には死はありません。これは真理ではないですか。阿弥陀さんは「お前は死ぬぞ」とは仰らない。阿弥陀さんは「お前は仏になる」と仰ってるのだから、その通りに受け入れて、あとは余計なはからいを一切しない。
 こういう人は死なないで往生するのです。真宗の信をほんとうにいただいた人はみなそうです。妙好人は死にません。浅原才市は、私は臨終も葬式もすんだと言う。それでは何をしているのか。ナンマンダブと一緒に生きている、と言っています。フィヒテは「いたるところ生命がある。死はない」と言うのです。実体的な不死の魂に固執し、その魂が現世から天国へ行くというような考え方は、本当の宗教ではない。そういう人が言う永遠や天国とは一種の他界に過ぎない。仏教で言えば、やはり娑婆に過ぎないわけです。
 だから浄土真宗の場合でも浄土と言っているけれども、なにか別の娑婆を考えているのではないか。お浄土へ行ったらおおぜいの仏さまがおられて、私もそこへ行って空いている蓮台に座る、という。そんな浄土は、「老人だまり」ならぬ「仏だまり」とでもいうべきもので、そこへ行ったはずの人から何の音信もないとなれば、そんなところへ誰も行きたいとは思わないではないですか。どんなに往生浄土と言ってもどこか寂しいわけです。しかし、親鸞聖人は初めからそんな往生浄土を説いておられないのです。
 仏の働きの場、浄土において、執われから解放されて、「存在の満足」に導かれる教えが浄土真宗です。凡夫の考えに固執するな、凡夫の言うことよりも如来の言うことを信じなさいというのです。凡夫とはこの自分のことです。他人事ではない。あゝ私は今まで間違っていた。如来の言葉を疑って自分の考え方につい固執していたなということがフト頷けて念仏するのです。これは如来がわからせてくださるのです。あゝ、如来の仰るとおりだと自分が変わる。こうなったことが助かったことではないですか。

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