8月のご案内(B.E. Buddhist era 仏暦2562)
仏教は、釈迦族の皇太子であったゴータマ・シッダルタが出家して修行・瞑想の果てに悟りを開かれ仏陀(覚者)となられて、世尊と尊ばれるようになりました。その世尊の目覚めの内容が地域、民族、時代を超えて、苦悩する人々を救いに導く教え、仏教として今日まで伝えられています。初期の頃、求道者は悟りの位、阿羅漢果(あらかんか)を目指して修行をされていました。
羅漢とは仏教において最高の悟りを得た、尊敬や施しを受けるに相応しい聖者のことを示します。この境地に達すると迷いの輪廻から脱して涅槃に至ることができるといわれています。
仏教の主流の流れは、仏陀の歩まれた道をなぞって修行していけば、悟りに行き着くはずだという考えで、多くの修行者が仏道修行に励みました。その時にいろいろな仏(目覚めた人)が修行者を指導されたり、励ます基本として願いを表白されました。その基本が総願と呼ばれ「四弘誓願(しぐぜいがん)」に整理されています。
求道者や菩薩が仏になるための因としての行を修めるためにおこした願(すべての仏・菩薩に共通する一般的な総願、宿願などとも称する)です。これは仏になる方向、涅槃を目指して修行することに関しての願です。
四弘誓願,四弘行願(しぐぎようがん),四弘願などといい,(1)誓ってすべての者をさとりの彼岸に渡そう(衆生無辺誓願度(むへんせいがんど)),(2)誓ってすべての煩悩を断とう(煩悩無量誓願断(せいがんだん)),(3)誓ってすべての仏の教えを学ぼう(法門無尽誓願学(ほうもんむじんせいがんがく),または法門無尽誓願知(せいがんち)),(4)誓ってこの上ないさとりに至ろう(仏道無上誓願証(せいがんしよう),または仏道無上誓願成(せいがんじよう))の四つをいいます。
これらは釈尊在世中や、しっかりとして仏弟子が居て指導されている間は、それでよかったのです。大乗仏教運動がおこる頃から、在家信者の救いをも目指すことを考えるようになる時代性を迎え、すべて衆生の救いを考えるようになって、浄土の教えが花開いていったと思われるのです。
道綽禅師(526−641)は日本の聖徳太子と同じ時代を生きておられます。その道綽を親鸞聖人は正信偈の中で「道綽決聖道難 証唯明浄土可通入」、【読み方】道綽、聖道門の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす、と讃えています。
大業5年(609年)、48歳のとき玄中寺の曇鸞の碑文を見て感じ、自力修行の道を捨て、浄土教に帰依し同寺に滞在、出家者、在家者のために『観無量寿経』を200回以上講義。亡くなるまで念仏を日々7万遍称えたといわれています。念仏を小豆で数えながら称える「小豆念仏」を勧めます。
貞観15年(641年)、善導が、晋陽(現:山西省太原市)にいた道綽をたずね、師事した。そして道綽は没するまで、『観無量寿経』などの教えを授けた。 貞観19年(645年)85歳にて逝去。
道綽禅師の幼少のころ、インドから『大集月藏経(だいしゅうがつぞうきょう)』というお経が伝わって来ています。このお経には、「末法(まっぽう)の到来」ということが説かれています。仏教の教えは、釈尊が亡くなられた後、時代がへだたるにともなって、世に正しく伝わらなくなり、やがて仏法は衰滅する時が来ると説かれているのです。このお経によりますと、仏教は、正法(しょうほう)・像法(ぞうほう)・末法という三つの時期を経て、やがて滅尽してしまうというのです。
釈尊が亡くなられた後、はじめの五百年は「正法」の時代とされます。この時までは、教えが正しく伝わり、その教えによって正しい修行ができるので、正しい証(さとり)が得られるとされます。
この後「像法」となり、それが千年続きます。この時には、像(かたち)ばかりの教えが伝わり、その教えによって像ばかりの修行はできますが、教えも修行も像ばかりですから、証(さとり)は得られない時代です。
そしてその後の一万年が「末法」です。かろうじて教えは伝わっているけれども、行も証(さとり)もともなわない時代です。このような末法の世では、教えの伝わり方も不十分であり、修行もできなくなっているわけですから、自分の信念や努力を頼りにして、厳しい修行を重ねても覚りに近づくことは不可能であるとされるのです。
道綽禅師がおられた当時、すでに末法の時代に入っている(末法に入って十一年目の年に生まれた)と受けとめられていました。しかも、道綽禅師は、厳しい仏教弾圧の事件(廃仏毀釈)を身をもって経験されましたから、末法の世を生きて、そこで仏法を学び、仏教を守らなければならないという自覚が、私たちが想像する以上に強かったことでしょう。
末法という危機意識のほかに、『法華経』や『仏説阿弥陀経』には、すでに「五濁(ごじょく)の悪世(あくせ)」ということが説かれていましたから、その自覚も高まっていたことと思われます。「五濁」というのは、末の世において、人間が直面しなければならない五種類の濁り、汚れた状態を言います。それは、劫濁(こうじょく)・見濁(けんじょく)・煩悩濁(ぼんのうじょく)・衆生濁(しゅじょうじょく)・命濁(みょうじょく)の五つです。
「劫濁」の「劫」は、「時代」という意味ですから、それは、「時代の汚れ」ということになります。疫病や飢饉、動乱や戦争が続発するなど、時代そのものが汚れる状態です。
「見濁」の「見」は、「見解」ということで、人びとの考え方や思想です。したがって、邪悪で汚れた考え方や思想が常識となってはびこる状態です。
「煩悩濁」は、煩悩による汚れということで、欲望や憎しみなど、煩悩によって起こされる悪徳が横行する状態です。
「衆生濁」は、衆生の汚れということで、人びとのあり方そのものが汚れることです。心身ともに人間の質が低下する状態です。
「命濁」は、命の汚れということで、自他の生命が軽んじられる状態です。また生きることの意義が見失われ、生きていることのありがたさが実感できなくなり、人びとの生涯が充実しない虚しいものになってしまうことです。
このような末法の時、しかも五濁の世にあっては、自力によって厳しい修行を重ね、覚りに近づこうとする聖道門の教えは、事実上、不可能な教えであるというのが道綽禅師の指摘なのです。
悪時・悪世に生きる凡夫であればこそ、すべての人を浄土(仏の世界)に迎えたいと願われるのが阿弥陀仏の本願です。そしてこの本願の力が具体的に私たちに与えられているのが「南無阿弥陀仏」という念仏です。自力を捨てて阿弥陀仏の本願に従うという他力の念仏の教え、それが浄土門の仏教です。
末法・五濁の世では、この浄土門の教えしか残されていないと、道綽禅師は教えておられ、親鸞聖人はそれを大切にして受け継がれたのです。仏説無量寿経に説かれる、法蔵菩薩の48の本願は、唯一仏の方から、迷える凡夫の所に降りてきて(いろいろな菩薩の姿を取って)凡夫の上に救いを実現しようとして本願が説かれているのです。凡夫の実態をつぶさに観察して、その救われそうにない愚かで迷いを繰り返す衆生のために、救いがいかに実現できるか長年思惟、苦労を重ねて「南無阿弥陀仏」の名前となって仏の智慧といのち(寿)を実現しようと願いを建てられているのです。私の苦労は法蔵菩薩の、私を真実の世界へ導かんが為のご苦労の表れです。 |