9月のご案内(B.E. Buddhist era 仏暦2562)

「浄土真宗の救い」について ある知り合いの僧侶の述懐
 私たちの学んでいる浄土真宗というご法義において「救い」というのは、どういうことを「救い」というのであろうか。学びの上では「現生正定聚」(註1)だということは言葉としては知ってはいても、具体的にどういうことなのだろうか。永年聞かせて頂きながらも、はっきりしていないということがあるのではないだろうか。
注1:この世(現生)で必ずさとりを開いて仏になることが正(まさ)しく定まっている人(ともがら、聚)のこと
 中央仏教学院(西本願寺系)〇〇支部の聞法会に田畑正久先生を講師にお迎えしてお話を聞く機会があった。その折に配布された資料の中に「浄土真宗の救い」ということについて、田畑先生の恩師の細川先生の話された「ネズミ教」という象徴的なたとえ話が紹介されていた。

 この「ネズミ教」の喩を概略紹介すると、ネズミ教を信仰するあるネズミの一家がいて、ネズミ教の教会で教主の教えを聞いて、深く感動して、教えを護り、祈りをささげ、開催される行事にも熱心に参加して、そのお陰で一家は経済的にも恵まれ、また息子の受験も希望校にも入れ、いわゆる人並みな幸福な生活を営んでいた。
 ところが、その幸福が吹っ飛ぶような大事件が起きた。それは一家の大黒柱である父親が猫に遭遇したのである。 父親は「神さま、どうか猫に捕まり喰われないようにと必死に祈った」が、しかし猫に捕まり、とうとう喰われる。その時、ネズミの父親は「あれだけ神様にお願いしたのに。神も仏もあるものか」と叫びながら、猫に喰われてしまった。 この父親の断末魔の叫びを、逃げ延びた息子のネズミが聞いていた。
 後日、息子のネズミはネズミ教の教主に教会であった。私の父親は「神も仏もあるものか、と言いながら猫に喰われて死んだ」が、神様は救っては下さらなかったと文句を言ったという。
 その時、ネズミ教の教主は「あれは信心が足りなかったのだ」と。信心があれば猫に合う筈がない、という言い訳のような返答をした。

 このような例え話を細川先生はされ、それでは浄土真宗のご法義における救いというのは、どういうことかというと「悠々と猫に喰われていく」ことが「救い」なのだと、その講義の中で話されたということである。
 この象徴的な譬えで、私たちはネズミの父親の救いとは何かを考えるとき、少なくとも「猫に悠々と喰われていく」ことが救いだとは考えないだろう。猫に喰われるという危険に遭遇しないことや、猫に遭遇しても信仰による摩訶不思議な力が湧いてきて猫を追い払う、あるいは猫を追い払う誰かが現場に現れる。それが「救い」だと考えるのではないだろうか。
 この例え話で、「猫」とは抗いようのない出来事、たとえば自然災害や交通事故や、思いがけない災難、あるいは末期癌の宣告などであろう。このような現前の事実を突き付けられたとき、日頃積み上げてきた幸せは跡形もなく消え失せるだろう。
 田畑先生は、人間の苦悩というのは、人間の持つ希望(理想)と現実のギャップが大きければ大きいほど、思い通りにならないという苦悩が大きいのではないか。その意味で、自身の健康と長生き、そして愛する家族の幸せこそ我々の理想とするものであり、ここに「猫」に象徴されるような災難が訪れた時、その埋められないギャップに苦悩し、右往左往するのが私たちの実像なのでしょう。
 その意味で、自己中心的な想念によって描き出す理想を現実、つまり自己中心的な想念においては理不尽としか言いようのない現実を、ありのままに受け入れることによってギャップを埋めていくことで苦悩を小さくできるだろう。つまり、「在りのままの現実を受け入れて、念仏申す」ということが、我々の救いなのだということを、「猫に悠々と喰われていくことが救いである」という表現で細川先生はおっしゃったのであろう。

 ここで、私の実際の経験を語りたい。
 昨年、父の三十三回忌と母の五回忌の法要を自坊で営んだ。父の死は、布教の帰りに若者の運転する車との衝突による交通事故死でした。事故死の連絡を受け、大急ぎで家族を連れて実家に駆け付けた。すでに納棺され、通夜の準備が整い、弔問客が集まっていた。駆け付けた私は、喪主でもある母に向かって「一体何があったのか」と、あまりの意味のない質問をした記憶がある。
 母はその時、「誰も分からない」、「すべてはご因縁のこと」と答えた。実は、事故死のちょうど一か月前に、私自身の脱サラについて報告のために帰省したばかりで、その時には健康そのものであったから・・。
 その時の訪問客の中に、一人のご婦人が、通常訪問客の集まる位置とは違った位置に下を向いて座っていた。交通事故の相手方の母親だという方であった。その時の私は、そのご婦人を事故当事者の母親と知り、強い敵愾心を持った目でそのご婦人を眺めたことを思い出す。母はそのご婦人に一般の訪問客の据わる位置を与えたのだろうが、それに応ずることができずに、片隅の目立たない位置にお座りになったのだろう。
 葬儀の席に、事故の相手である一人の青年が、親戚の方であろう方々に身体を支えられながら参列されていた。交通事故のショックで精神的に錯乱し、身体も自由にならない様子であった。しかし、その時の私は、その青年を「加害者」というレッテルを張って眺め、そして敵愾心をもったことを記憶している。
 葬儀も済み少し落ち着いた時に、事故の相手は免許取得からまだ日も浅く、車も数日前に買ったばかりで、任意保険にも加入していない状況だったという事を知った。それを聞いて、世間智だけはいっぱしの私は、母に「もし事故の補償金に不満があるなら、訴訟を考えてもいいのではないか」と話した。私が訴訟手続きをしても良いとも話した。
 その時母は「事故の真相は警察が現場検証をしてくれている。事故の保険金については保険会社の交渉人の方に任せようと思っている」と。あまりにも淡々とした対応に、自分の気持ちの始末がつかず、傍にいた弟に、「お前はどう思うのか」と聞いた。弟は「母さんがそれで良いのだったら、僕もそれで良いと思う」と答えた。そして、これらの会話の最後に、母は「今度の事故のお相手は、父さんのこの世での最後のご教化の相手だったのだろう」と言ったことを、三十三年後の今になって思い出す。
 私自身はその父の事故死を契機にして、母の勧めを受けて中央仏教学院の通信教育課程を受講し、得度し、布教使と、その学びは続いた。そして布教使として、すでに二十二年を経過する。
 僧侶として必要なすべての衣帯を用意してくれ、また自宅の新築の折には、まだ粗壁の時から仏壇屋に私を連れていき、そして仏壇屋で紹介されたお寺さんに入仏法要を営んでもらい、それが済んで自坊に帰って行った。その母も亡くなってすでに五年が過ぎた。

 細川先生の「ネズミ教」の喩の、「救いとは悠々と猫に喰われていくこと」だ、という象徴的なお話は、私の三十三年前の出来事に重ねてみると、「猫」とは父の交通事故死に結びつき、ネズミの父親や息子はそのまま私の姿と重なるように思う。事故の相手を加害者と決めつけ、敵愾心を以って眺めた私。通夜の席でのお相手のご婦人に深い因縁を感じながら接する母。そして事故当事者に対しては、父のこの世での最後の教化の相手とみる眼差しは、まさに「悠々と猫に喰われていく」姿ではなかったか。
 田畑先生は信心の智慧とは「もの事の背後に宿されている意味(世界)を感得する見方」だと教えている。本当にそうだなあ、と。「悠々と喰われていく」ことのできる智慧はお念仏のお育てがないと感得できない智慧の世界なのでしょう。
 最後に、母の言った「父さんのこの世の最後の教化」は、実は事故当事者の若者のことではなく、私自身であったことに、三十三年後になって改めて知らせて頂くことです。母の人生のほとんどを私は知りませんが、今頃になって懐かしく、恩知らずのわが身をしみじみと知らされる昨今である。

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