4月のご案内(B.E. Buddhist era 仏暦2563)

 お釈迦さんの物語はたくさんあります。その中の一部を紹介します。神話的な物語になっていると思われますが、その意味するところを考えるのが大事です。
 お釈迦さんが生まれた時、王である父は占い師に赤ん坊の将来を占ってもらった。占い師は赤ん坊をみて、先ず、この子は世界に傑出した素晴らしい王様になる相を示しています、と言った。そしてちょっと躊躇して、もし人生の悩みに出合い、苦悩の解決を求めて出家をして悟りを開くならば世界を導く指導者になるであろう、と予言したという。
 王様は大いに喜び立派な王となるように育てました。同時に、出家しないように悩みのないように人としての思い(欲)を満たせる宮殿を整えて生活をさせたのです。成人してから世間勉強(社会見学)のために家来を従えてお城から出ていきました。そこには腰の曲がったしわだらけの弱った老人に出会います。宮殿では見たことないものを見て、「あれは何だ」と家来に聞きます。「あれは老人です」「あのような生き物がいるのか」「いや、そうではありません。人間は皆、年と共にあのような老人になっていくのです」「私もあのように成るのか」「人は誰も年を取る事を免れません」。お釈迦さんはショックを受けて城に引きかえします。王様は事情を聞き、それは出てゆく「方角が悪かった」と言ったようです。
 後日、方角を変えて出てゆくのですが、「苦しむ病人」に出合います。あれは何だ、苦しむ生き物がいるのか、それとも何か悪いことをして罰として苦しんでいるのか、と家来に問います。そうではありません。人は時に病気になり苦しむことがあるのです。悪いことをしたからではありません。「私も病気になるのか」と問う、「お釈迦さまも条件次第では病気になり、苦しむことがあるでしょう」……。後日、他の門から出て「横たわる死人」に出会うのです。同様にショックを受けたようです。
 お釈迦さんはしばらくしてもう一方の門から出てゆきます。そこには乞食のような身なりをしており、世間的な幸せの条件を一つも持ってないが、すがすがしい顔立ちをした出家者がいたのです。お釈迦さんはその事情を家来に聞いて、心が動かされます。(四門出遊の物語)
 その後、老病死の苦の解決のため出家の思いは止みがたく、遂に出家をします。欲(煩悩)を否定する荒行などを試みるのですが解決になりませんでした。そのような修行を止めて座して瞑想に励み、ついに悟りを開かれたのです。悟りのさわやかさに酔いしれるが如くその境地を楽しみます。そのまま死んで良いと思っていました。その悟り事情を噂に聞いた当時のインドの神様のトップ帝釈天が、釈尊に是非その悟りの内容を皆に説いてくれと何度となくお願いをしました。
 梵天勧請(ぼんてんかんじょう)」という言葉があります。「梵天から勧め請われた」ということです。お釈迦さまに対して、「悟りに至るための教えを説いてください」と梵天が勧めた。それに対して釈尊は、この悟りの内容は普通に人には理解できないであろうから、説くことはやめると答えるのです。梵天はそれに対して、普通の人には理解が難しいだろう、でも老病死の苦に直面してその苦しみに悩み、苦を解決したいと、悶々としている人(20人に一人ぐらい)は、その教えに出会って救われるでしょう、と重ねてお願いしたのです。
 「仏教は必要かどうか?」 という質問をする人がいます。仏教は老病死などの仏教的苦悩に悩んでいる人にはなくてはならない必要な教えです。しかし、老病死を他人事として世間的関心事に忙しく、振り回されている人は差し迫って仏教を必要と考えません。しかし、必ず直面するでしょう。老病死は避けることができません。釈尊在世の時代でも20人の内、19人は必要と思わなかったのです。現在の日本人も同じでしょう。「死」は「生」を脅かすと同時に「生の真相」を明らかにすると言われています。
 梵天勧請から釈尊は約40年間、相手に応じた説法(対機説法)をして多くに人を救っていったのです。仏のことを自在人ということがあります。それは相手の応じて自在に救うはたらきを展開されている仏ということです。
 阿羅漢(アラカン)、辟支仏(ビャクシブツ)は自覚(自利)と言って自分の悟りを優先して他への働きかけをしません。世尊もそうなるところを他への働きかけ、梵天勧請を受けて始められたのです。自覚覚他が円満に出来て初めて仏となるのです。仏教では自分だけの悟りを楽しむことを独覚と言ってよい評価をしません。
 ある有名な物理学者(ノーベル賞を受賞してもおかしくない研究者ですが、死亡のために受賞の機会を失した。その代りお弟子さんが受賞された)と佐々木閑先生との対話に関しての講演を聞く機会がありました。
 物理学者は大腸がんの治癒不可能な状態で化学療法を受けながら公開されたブロブに心境の一部を吐露されていました。物理学者にとって老病死は他人事で自分の問題になるとは夢にも思ってもなかったことだったのです。
 自然災害に出会って家族、財産を一度に失った人は、自分の幸せを求めて再び家を財産をと、作り上げようとするでしょう。しかし、それらが満たされても、どこかに「幸せとはいったい何か」という問題意識を持つことになるでしょう。私の友人も、ガンのステージ4、あと半年は無理でしょうと言われた時、幸せの条件と思われる周囲の状況(家族、経済的安定、住居、友人など)をもっていても、死んでゆくことに何の助けにもならないのです。生きることで築き上げてきたこと、生きるということは一体なんだったのか、こんなことは考えても答えはない、忘れよう……、忘れように忘れられない。死の問題を、「後生の一大事」というのでしょう。
 人間の頭は普段は死なんて考えない、差し迫ったいろいろな世間ごと、食べること、遊ぶこと、差し迫っての仕事などを考えるようになっていて、「生きる意味」だ「死」なんて考えないようにできているのです。いや!、答えの出ない問題を直感して避けているのでしょう。仏教の話は老病死など深刻なことを問題にするので、我々は日常生活では仏教は嫌いなのです。
 私自身は死を怖がるという気持ちは、日ごろ持ったことがありません。それは、死は他人事と思っているからかもしれません。仏教の学びの中で「縁起の法」を知らされ、命の有り様は生死一如(「生」は死に裏打ちされて存在する)である。それは生物学、医学でも分子レベルでも同じである。
 「縁起の法」を「人生の出来事」に当てはめてみると、人生とは取り返しのつかない決断の連続である。そして毎日夜、意識の死を経験しているということです(死ぬなんて思いもしないで、楽観的に任せているのですが)。そういう死にまつわる諸々の思いが出てきたら、「また自力のはからいが出てきたわ、南無阿弥陀仏」と念仏すると同時に、この現実は私に何を教えようとしているのか考えるようにしています。
 平野修先生が本の中で、念仏の智慧はいろいろな思いや時間の「区切り」をつけてくれるという「はたらき」があると言われていました。私は、死や、取り越し苦労、持ち越し苦労が頭に出てくると、「南無阿弥陀仏」と念仏するようにしています。生きている事、存在していることの“有ること難し”を気付かせようとしているのです。

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