11月のご案内(B.E. Buddhist era 仏暦2563)

「老病死の受けとめ」 南御堂新聞「現代と親鸞」(第一回、2019年.10月号.)より

 真宗の土徳のある地域では「後生の一大事の解決はついたか」という会話があったという。後生の一大事とはいろいろな受け取りがあるが、ある坊守さんの法話に「『後生の一大事」というのは、この最後生の一大事のことです。もう六道の迷いの世界にかえらない。四苦を超え、その苦を背負える道が見つかったか。人間として生まれてよかったという喜び、生きてきてよかったという満足が得られたか。苦悩や不安は私に『何を拠り所として、生きているのか』と問うてきているのだ』と受け止められていて「なるほど」と納得しました。
 最後の生とは、仏法に明日はない、縁起の法で教えられる死に裏打ちされた「生」を生きている。今日の夜、死んでもおかしくない今日を生きているのです。今の生き方が「最後の生」として問われているのが『後生の一大事』の問題と受け取ることが出来ます。
 団塊世代が、平均寿命84歳の年齢を約10年後に迎え、医療・福祉の領域では安楽死、尊厳死、平穏死、孤独死、大往生等々の死にざまが論じられています。現代人の多くは科学的合理思考を生きる基本として「死んでしまえばおしまい」と考えて、「死」を苦しまず、できれば安楽に終わりたと考えるのです。
 緩和ケアに従事した医療人が、患者は「生きてきたように死んでゆく」と言われていたことがあります。しかし、死にざまの身体的な苦悩を緩和することに関心や重点がおかれ、その人の生き方を考えることは少ないように思われます。そのことに気づいた研修医が次のような感想を書いていました。
 「病棟で担当している患者に『どうして私が死ななければならないのですか』とか『私なんてこれ以上長生きしてもしょうがないですから』と言われることがある。私は『そうですね、そう思うぐらい辛いのですね』と紋切り型の返答しかできない。彼らは迫りくる死を前にして、『自分は何のために生きてきたのか』という問いに取り組んでいる。
 日本人にとって、人生を振り返り、意味づけを行うことは相当難しいようだ。患者は大抵『本当に生きる』意味を見いだせずに衰弱し意思疎通出来なくなってゆく。家族はその姿を見ている罪悪感に耐え切れず、最大限の医学的治療を要請する。そして、医療者は生命予後や,生命の質の向上に役立たない治療を余儀なくされる。家族も医療者も患者のように死を前にした苦痛を感じていないし、日頃から『本当に生きる』意味を考える時間も必要もない。だから患者は『生きる』意味を一人で探さねばならず、我々は戸惑い寄り添う事しかできない。
 患者が亡くなると、我々は『〇〇さん、亡くなりましたね。頑張りましたね』等と言い、『生きる』意味を考えることから逃げる。日本の終末期には本人ではなく家族の満足度を上げるための消耗戦の一面がある。宗教の力があれば、事態は解決できるように見える。
 病と闘う患者に独りで宗教を信じ模索するように促すのは酷であろう。彼らと一緒に考えてくれる友・導いてくれる師が必要である。ビハーラ(仏教の緩和ケア)では、誰でも気軽にお坊さんから、宗教への抵抗感をやわらげ、自己肯定感を高める。自分が「救われるべき者」だと思えて初めて、人生の意味を考える余裕が生まれるのではないだろうか。」医療人は医学的客観的事実、統計等を尊重する思考で訓練され、患者の感情的なことや人生観、死生観は私的な事柄とされ、距離を置いて感情に流されないような対応が先輩医師から指導されて来たように思われる。理科系とされた医学生は哲学や宗教に関心が薄い。
 大分大学の新入生(医学、看護学)に医学入門の講義を一部担当しています。「老病死にどう対応するか」の講義の感想文で、医学と仏教が同じ生老病死の四苦を課題に取り組んでいるという内容に9割近い学生が、仏教の話をはじめて聞いた、両者が関係しているとはじめて知ったと書かれていました。
 医療現場は病気だけでなく患者の全人的な問題や人生の課題に否応なく対処しなければならなくなります。「患者に寄り添う」と多くの医療者や指導者が発言しますが、医療者自身の人生観、死生観が広く、深く包容力のあるものでなかったら、患者の苦悩を受け止め、寄り添うことは無理でしょう。(続く、2019年11月号へ)

 最近、講演録(下記)で細川巌先生の心に触れて、生きる姿勢を正される思いがしました。(細川巌述、源空和讃(上)より)
 ──(前略)── あなたが自分の子、自分の有縁の人、それに将来仏法の縁を是非とも伝えたいと思ったら、小さい時に、あなたが案内しておくことが大切である。それが大事、それが宿善になる。
 又、この人という先生に引き合わせておく。紹介しておくことである。これはいざという時、頼みになるかも知れない。それが我々の配慮ですよ。
 要するに、子供の会、青年部会、定期的会座、いろいろあります。私たちはこの会で光明団の勢力を拡張しようとか、そういうことは考えていない。それは仏法興隆の一番大事なところを担っているんです。

 この子たちが今から先、人生を長く生きていく上で、いろいろな悲劇にも遇うだろう。たくさんの事件にも遇うに違いない。今のような世中では特にそうだろう。そういう時に、君たちが本当にたすかっていく道がちゃんとあるんだ、弥陀の本願があるんだ。が、それに遇うには、縁が熟す、ということが大事。それには宿善がいる。その宿善を分けあっていこう。それが大慈悲ですよ。大悲の行なんです。 ──(後略)──
 師は定期的な会座、大学の仏教研究会、ひかり幼育園、各地の少年練成会、青年部会、そのスタッフ研修会(春、秋)等等、多くの取り組みを始められた。そして継続されている。
 師との出遇いは私が九大仏教青年会の寮で生活していて、仏青の総務になり、仏青の活動をどうしていけばよく分からず悶々としていた時、食堂にあった新聞の催し物のコーナーに福岡教育大学仏教研究会の公開講座の案内をたまたま目にしたことがご縁の始まりであった。
 その後お育てを頂く中の講義の中で、「弥陀の本願、第十八願があるから、何んの心配はない」、とも言われたことが思い出されます。師の心、願いに触れて、懺悔せざるを得ない、南無阿弥陀仏。

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