1月のご案内(B.E. Buddhist era 仏暦2563)

「死に目に会う」
 次のような伝記が伝わっています。お釈迦さんが誕生してから、父王は占い師に子ども未来を占ってもらったそうです。占い師はお釈迦さんの顔を見られて、「王様、この子は成人すれば国を立派に治める素晴らしい王様になるでしょう」と占ったのです。しかし最後にちょっと追加されます。「もし、世を厭い、出家することがあれば、全世界の人に救いをもたらす、素晴らしい導師になるでしょう」。
 父王は、子供が世を厭い、出家しないように、美しいもの、善い音楽、若々し付き人等等を配慮して、老・病・死が目に付かないような宮殿を作って育てたと言われています。これは現代社会の都会の若者が集う繁華街に似ています。弱弱しい介護の必要な老人、病で臥して苦しむ病人、動かなくなった遺体を日本の繁華街(東京の銀座や福岡の天神など)で見ることなどはほとんどないでしょう。
 文明が進歩すればするほど、便利できれいで清潔で快適な人間の思いや理想を実現する都会(都市社会)を作って、管理支配しようとしてきました。人目に不都合な自然現象の露出はできるだけ避けるようにしてゆきます。現在でも天皇の地方への行幸(ぎょうこう)の時は町がきれいに整備されるようです。
 四門出遊と言って、お釈迦さんは宮殿から出て庶民の生活の場に出て行った時、初めて老人・病人・死人に出合って、自分も老病死する存在だと知って驚くのです。そこから仏教の悟り、気付きが展開されてきたのです。
 日本では高齢者の老病死のお世話が必要になると、個人ではなく公的保険で対応する制度を世界の中でも早くから整備してきました。そのためもあって、弱弱しい介護の必要な老人、病で臥して苦しむ病人、動かなくなった遺体を日本では日常生活の場面で直接目にすることが少なくなってきています。
 親しい、縁のある人の「死に目に合う」ということが、今の時代に少なくなっています。ある都会に住む人が、老いた親を田舎の施設に預け、お世話をしてもらっていた、という。親の状態がだんだん悪くなって、施設の人が、親の状況説明をして、「状態が悪くなったらどうしましょうか」、と問い合わせたら、「医療などはそちらにお任せします。仕事で忙しいので、亡くなった時は、そちらで直葬をして、遺骨は適当に処分して、貯金通帳だけは子供の所に送って下さい」と言ったということが、まことしやかに聞こえてきたことがあります。
 「死に目に会う」ということの意味は、自分が死すべき存在であると身をもって教えられる機会が、親しい身近な人の「死」の場面であるということでしょう。
 何らかの理由で、弱った人がだんだん呼吸状態が悪くなり、努力様呼吸から、呼吸回数が減り、呼吸間隔が伸び、そして呼吸停止、次第に血色のない顔色になる、という変化を目の当たりにすると、いのちの真実の有り様を実感するでしょう。そして自分も必ずいつかはそうなると実感されるのです。
 「遺産なき 母が唯一の ものとして 残せし死を 子らよ受けとれ」の心が受け取れるように思われます。亡くなった母は「死という事実」を残る者に身近に経験させて、「人間とは」「人生とは」「死とは」を教える存在であった。即ち、私に老・病・死を教える菩薩、諸仏であったとの受けとめになるでしょう。そして死ぬのではなく、人生を生ききり成仏したのです。
 浄土真宗では亡き人は、仏の世界から、方便法身の南無阿弥陀仏となって、この世の迷える私に来たって、私と一体となって、私の口から念仏となって出てくれている、その南無阿弥陀仏が私への呼びかけとなり、私を目覚めさせるはたらきを展開してくれている、との受け止めが素直にできる世界です。
 科学の領域の研究者が、自分の死を考える時、現象的には意識も、火葬すれば身体もなくなるのだから、「死んだらおしまい」、「死んだらゴミになる」と自分でクールに思っていたそうですが、子供が病気になり、状態が悪くなった時、子供から「死んだらどうなるの」と問われる場面に直面して「死んだらゴミになる」とは言えなかったという。それが縁となり、仏教の学びをするきっかけになったそうです。
 右肩上がりの日本経済の成長を経験した、いわゆる団塊の世代は、右肩上がりのその先に自分の老病死に直面することになり、その現実に戸惑うしかないのです。ある著名な科学者が、自分自身の進行したがんに直面して、手術や化学療法を受けながら、自分が生活のなかで「死すべき存在」になるということは考えたこともなかった、と言われています。
 日常生活で、日々の課題に取り組むことで忙しく、受けて来た教育で、物事を向こう側に眺めるように対象化(三人称的に見る)して客観的に見る訓練を受けてきた人間は、自分を見る眼は小学校の反省会レベルと言えるでしょう。自分は正しく物事を見ている、自分には常識的分別はある、善悪の判断はできる、そんなに悪いことはしてこなかった、という思いがあるのです。仏とか仏教と言っても対象化して眺め、仏の教えもちょっと読んでみるも、「悟り」「空」「無我」と言われても理解できない、すると「敬して遠ざける」ということになります。
 「仏教は日本の文化に何を貢献したか」の質問に「内観」と言われています。仏教の内観に関係した内観療法、森田療法、マイドフルネスなどの言葉は聞くでしょうが、仏教の本来の内観は、「『内観』とは、主観を払って見るということです。『内観』と言うのは、自分の眼で自分の心を覗きこむように思われがちですが、それは『内観』ではありません。自分の心を外側から見ておるだけです。それは外観というのです。『内観』とは、自分を含めて内外のことが、あるがままに見えるということを『内観』というのです。
 あるがままの世界が、あるがままに見える、これが「内観」の事実(真実)なのです。それは仏教の智慧(無量光)のはたらきに出合って、初めて可能になります。そして身の事実(縁起の法、自分の深層心理の有り様などの事実)に本当に頷(うなづ)くことになり、私の眼の執われ(我見)や偏見を知らされ、対象化でない思考、「物の言う声を聞く」という発想が大事になるのです。この現実は私に何を教えよう、気付かせよう、目覚めさせよう、支えようとしているかと考える(哲学的、宗教的思考)のです。
 平安時代の歌人、和泉式部は、「夢の世に あだにはかなき身を知れと 教えて帰る子は知識なり」と歌っています。知識とは仏教の先生のことです。なぜ子供が先生なのか?それは「あだにはかなき身」を教えてくれたからです。「あだにはかなき身」とは、「やがて必ず死んで行く自分自身」のことです。
 「親の死に目に会う」とは、食べるための「生活」に追われている私たちに、食べても死にますよ、と「君は、それでよいのか」と「人生の意義」を問う、学びのご縁なのでしょう。

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