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「スピリチュアルな健康とは?」
 スピリチュアルに健康とか病気とかはあるのか、という質問を聞いたことがあります。皆さんはどう答えますか。参考にWHO(世界保健機構)の日本でのHPを見てみましょう。
 健康の定義について
 WHO憲章では、その前文の中で「健康」について、次のように定義しています。
 Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
 健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)
 この定義によって、WHOでは、医療に限定されず幅広い分野で、人々の健全で安心安全な生活を確保するための取り組みが行われているのです。 この憲章の健康定義について、1998年に新しい提案がなされたことがあるということはご存知でしょうか。
 Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
 静的に固定した状態ではないということを示すdynamic は、健康と疾病は別個のものではなく連続したものであるという意味付けから、また、spiritualは、人間の尊厳の確保や生活の質を考えるために必要で本質的なものだという観点から、字句を付加することが提案されたのだと言われています。
 この提案は、WHO執行理事会で総会提案とすることが賛成22反対0棄権8で採択され、そのことが大きく報道されました。そのため、健康定義は改正されたと誤解している人も多いのですが、その後のWHO総会では、現行の健康定義は適切に機能しており審議の緊急性が他案件に比べて低いなどの理由で、審議入りしないまま採択も見送りとなり、そのまま保留となっています。
 日本語では、mental も spiritual も同じく精神的と訳してしまいそうになるのは、宗教に希薄な国民性のためかも知れません。ともあれ、どう翻訳すべきかを考えてみることも、私たちが「健康とは何か」を考えるヒントのひとつになるかも知れません。 (以上WHOのHPから)
 1999年、WHOは従来の「健康」の定義(肉体、精神的、社会的健康)にスピリチュアルな健全さを健康を構成する項目として加えることを提言したことで注目を集めました。WHOはこの提言の中で、『緩和ケアは、すべての人間の全体的な福利にかかわるため、緩和ケアの実施にあたっては人間として生きることが持つスピリチュアルな側面を認識し、重視すべきである』と述べています。
 この健康を構成するスピリチュアルな側面とはなんでしょうか。 WHOの定義によるとスピリチュアルとは : 「スピリチュアル」とは、人間として生きることに関連した経験的一側面であり、身体感覚的な現象を超越して得た体験を表す言葉である。多くの人々にとって、「生きていること」が持つスピリチュアルな側面には宗教的な因子が含まれているが、「スピリチュアル」は「宗教的」とは同じ意味ではない。スピリチュアルな因子は、身体的、心理的、社会的因子を包含した、人間の「生」の全体像を構成する一因子とみることができ、生きている意味や目的についての関心や懸念と関わっている場合が多い、という事です。また、キリスト者の窪寺俊之さんは、スピリチュアリティーについて以下のように説明しています。
 人生の危機に直面して生きる拠り所が揺れ動き、あるい は見失われてしまったとき、その危機状況で生きる力や、希望を見つけ出そうとして、自分の外の大きなものに新たな拠り所を求める機能のことであり、また危機のなかで失われ生きる意味や目的を自己の内面に新たに見つけ出そうとする機能のことである。(窪寺俊之「スピ-チェアルケア入門」三輪書店)
 こういったことからスピリチュアリティーとは『人生に抽象的かつ積極的な意味を与え、人生を生きる価値のあるものとして生きる力』『生きる意味や目的を自らの外面や、自らを超える大きな存在に求める機能』と言ってよいともいわれています。
 スピリチュアルな面での患者さんの臨床の現場での訴え(ペイン)の具体的内容は、* 人はなぜ生まれて死んでいくのか、* なぜ自分だけにこういう事が起こったのか、* どうして死んでしまったのか。まだ一緒にやりたいことがあったのに、* 生きるとはどういうことか、* 許し、許されるとはどういうことか、* 死んだ人はどこに行くのか、* あの人は今どこにいるのか、* もう一度会うことは可能なのか、* 生きる事の価値は何か、* 残りの人生に価値はあるのか、* 私は何でこんな病気に、何か悪いことをしたのか、などの訴えです。これらの訴え(問い)は容易に答えが見つかるものではありませんから、自問自答を繰り返すことになります。
 自他の老・病・死に直面したり、死を経験したりといった大きな喪失の現実に遭遇して、初めて人は自覚的にスピリチュアルな痛みを多少の違いはあるが経験します。
 一般的には「人生に前向きに生きている」といった状態がスピリチュアルに健康であると言えるかも知れません。このスピリチュアリティーについて、通常の状態では殆ど無意識である事が、スピリチュアルペインを大きく感じる要因であると言えるのかもしれません。
 宗教に関心がないと4つの要素(physical, mental, spiritual and social well-being)を並列に考えがちですが、仏教の学びをして思われることは三つ(physical, mental, social)の要因を spiritual の要因が土台(底辺)となって三つの要因を支えているという構造になっていると思われます。
 このことに関係する大事な項目に「QOL: quality of life 」、生命・生活の質です。いくら量的に長生きしても、長生きした内容が空しかった(空過流転)ら本人は満足した人生と感じないでしょう。質を評価することは、主観的な領域なので非常に難しいのです。QOLの評価項目がいろいろ出されていますが、その代表的のものを示します。
 全体的な生活と一般的な健康の質として、(l) Physical 身体的側面、(2) Psychological 心理的側面、(3) Level  of  lndependence 自立(律)のレベル、(4) Social  Relationship 社会的関係、(5)Environment 生活環境、(6) Spirituality/Religion/Personal Belief 精神性/宗教/信念 を考慮するものです。Spirituality を 精神的と訳する問題もありますが、宗教に理解や関心を示さない人は6個の要因を並列的に考えます。そして(6)は私的、主観的な領域で評価しずらくて、あいまいにして、六つの内の一つぐらい…、としたままで対応します。  私などは前の五つの項目を底辺で支えるのが(6)の項目だと受け取るのです。そうすると仏教を含んで宗教性という事は大きな綱目と考えるのです。しかし、現在の医療者の大部分は科学的合理思考で十分だと考えています。著名な医学者が厚生省の「健康の定義の変更に関して」の審議会で討論する中で、自分は無宗教で生きているから Spirituality の要因を加えることは“迷惑だ”、と発言されていました。
 こういう医療者は自分の人生観で患者に対応して、十分に患者に寄り添っているという意識になっているでしょう。大学受験で理系と言われる医学部で学んだ多くの医師は、病んでいる人のスピリチュアル・ニーズや、その切実な叫びを理解できなくなってしまっているのではないでしょうか。私が仏教にご縁がないまま医療人になっていたらきっとそうだろうと思うからです。
 世間的な救いをイメージする多くの日本人は仏教の救いを簡単に理解できないでしょう。仏教者良寛が被災した友人への手紙の一節、「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬる時節には死ぬがよく候 是はこれ災難をのがるゝ 妙法にて候 かしこ」。常識でいうと全く救われてないではないかとなるでしょう。この心が受け取れると、生老病死の四苦を超える道に導かれるでしょう。

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