8月のご案内(B.E. Buddhist era 仏暦2565) 仏教では私という存在をどう考えているかと推測しますと、『モリー先生との火曜日』(スポーツコラムニストの著者ミッチ・アルボムとモリー教授が死の床で行った「ふたりだけの授業」の記録)、にあるお話、「ミッチ、私は死にかけているんだよ」 16年ぶりに再会した恩師、モリー・シュワルツ教授はALS(筋萎縮性側索硬化症)に侵されていた。忍び寄る死の影。 | これは京都の紫雲寺、伴戸昇空師の資料です。海の上に浮かぶように見える島を想定して下さい。大地に支えられた島です、海と波の関係に似ています。海上に見える島が「思いの我」です。島を支える大地を含めての全体が私の「生きる身」に相当します。今、ここにいる私の存在(身体、生きる身)は想像を絶する無量の因や縁、そして「いのち」の繋がりの中で生かされ支えられています、と釈尊は教えます。 |
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