12月のご案内(B.E. Buddhist era 仏暦2565)

 此の12月福岡で「死の臨床」研究会という医学系の研究会が開催され参加しました。この研究会で シンポジウム1 「死生観をともに育む」 というテーマで問題提起の発表をさせていただきました。その会に参加する人への発表の要旨(以下)を前もって提示しました。
 レジメ : 死生観をともにはぐくむ 田畑 正久(佐藤第二病院 院長/龍谷大学客員教授)「死生観をともに育む」というシンポがなされるということは「死」ということをどういうふうに受けとめるかの文化を考えようということだと理解します。
 今までの医療は「死」をできるだけ先送り、避けたいと取り組んできました。そして医療にとって「死」は医療の敗北になることでした。医療者にとって「死」は挫折となり、報われないことであり、燃え尽き症候群に陥る遠因になるものです。
 多くの医療者は対人援助を考える場合、患者に寄り添う医療を実現したいと願っています。しかし、今までの医療界は、死は患者の私的な事柄で医療人は関わらない方がよいという姿勢で避けてきました。しかし、死は人間の普遍的な課題であり、死の前後(周死期)の患者・家族・医療者の対応実態を考える時、周死期の質の向上をはかることが患者・家族・医療者のQOLの改善になることが期待されるのでこのシンポがなされると理解しています。
 研究会の先輩方が「生きてきたように、死んでゆく」「生き様が死に様である」と発言されてきたように死は生き様の延長線上にあるのです。死を考えることが、「生きる」ことを考えることに直結していると思われます。
 現代医学・医療の準拠する科学的思考は哲学者が計算的思考と指摘するように、WhatやHow の疑問形に対応する思考にたけていて、Whyで始まる疑問には弱いのです。そのために科学的な思考は死をどう考えるかとか死の受容については教えてはくれません。
 ボーボアール(哲学者)は,「人生の最後の10−20年を廃品と思わせる文明は挫折していることの証明です」と言われ、「死の臨床」を指導された日野原先生もよく引用されていました。
 生きる意味,老いることの意味,死ぬことの物語は哲学的,宗教的な課題であり、それらの文化の蓄積があります。西洋医学の導入期を指導したベルツ博士は在日25年頃、「日本の医療者は西洋医学の果実(知識、技術)のみを学んで、その背後にある文化・精神を学ぼうとしない」、と苦言を呈しています。現在の医療界もその延長線上にあることが思われます。
 科学的思考は量的な思考には強く、生物学的な死には種々の関わりをしますが、精神的、文化的な死についてはほとんど触れません。科学的思考は物事のカラクリの解明には力を発揮してその結果を治療に応用していますが、質的な面ではほとんど無力です。そのために生命・生活の質に関しては哲学者・宗教学者から見ると医療界は思考思索が足りないとみられているようです。
 福永光司氏(中国哲学研究者)は第23回日本医学界総会記念講演で「日本の医師は技を求めることに急で、道を学ぼうとしないがために人々の尊敬を受けなくなった」と言われています。
 哲学的思索や宗教・仏教文化の蓄積から学ぶことを通して患者および医療者の生活や命の質の向上に資するものがあるのではないでしょうか。
 がんの告知がなされてない昭和の時代、種々の事情から病名告知をして、その後患者との対話に「言葉を失った」衝撃を経験したことが思い出されます。告知がなされるようになって約30年が過ぎました。死に逝く患者との対話をどうしていますか。
 がんに罹患して患者の立場で手術を受ける経験をした先輩外科医が「患者と医療者の間には超えられない大きな溝を感じた。それは丸腰の患者と二丁拳銃の医師の関係に思えた」と書かれていました。
 医療という対人援助の仕事において、患者・家族に寄り添って、関係者が共に仕事をしてよかったと言えるような生命・生活の質の改善を願いながら、「死生観をともにはぐくむ」の問題提起をさせていただきます。
 このシンポジウムの座長(浄土真宗僧侶)、コメント係(毎日新聞大阪本社、報道部長)、私の3人で5回以上のパソコン上での打ち合わせを繰り返して準備しました。
 その中で思われたのは私自身のことで言えば、医療者は患者の症状、病気を治療することに主関心を持って取り組んできて、患者の人間性、人生に関してほとんど関わりをしなかったという反省です。症状・病気のコントロールだけで精いっぱいで、精神的・時間的余裕がなかったという言い訳が思われます。まして患者の人生に思いを向けることは、あまりにも大きな課題になり、日本の社会制度、医療事情からは医師、看護師など医療者に過剰負担を強いることになり無理からぬことです。
 「死の臨床」を考える時、生物学的な「死」をいくら考えても、局所的な「死」の現象としての受けとめにすぎず、患者の家族が考える「死」には到底及びません。一人の人間のこの世での最終段階の老・病・死、それはその人や家族、そしてご縁のあった人には人生が凝縮される場面です。「死」は仏教的にはいのちの流れの通過点であり、憶念の世界では対話が続くと受け止めます。生身が尽きて新しく仏としてはたらく(私に働き続けてくれる)展開になります。家族を含めて親しい人には仏教的な受けとめの方が自然に感じられるでしょう。
 浄土教では仏の働きが、私に働きかけ(呼びかけ)、呼び覚まし、浄土に呼び戻す、と展開するのです。大経では本願成就文の中では、諸々の迷いを持つ衆生の私が、人生の一歩前を歩まれる善き師、善き友の仏の働きを感動をもって褒(ほ)め讃(たた)える人格性に触れ、私も先輩のように、分別の思い(迷い)を翻(ひるが)して、仏の教えに順じて生きていこう(仏の世界、浄土を感じながら生きてゆこう)、となるところに、生きる姿勢が正され、頭が下がると同時に、自然と喜びが伴うように導かれるのです。そして、その「はたらきは仏から回向されたのである」(至心に回向したまえり)、と親鸞は読みかえられているのです。
 仏の働きに触れて「参った!、仏の言われることが真実でした。感動しました」という体験からはそう読むのが自然である。いや、そうとしか読めないではないかと受けとめることに身が納得したのです。

(C)Copyright 1999-2021 Tannisho ni kiku kai. All right reserved.