1月のご案内(B.E. Buddhist era 仏暦2565)

 仏教が、哲学や一般の思想と最も異なる点は「行」の有無であるそうです。仏教は「信解行証(しん・げ・ぎょう・しょう)」といい、「教」法をまず「信」じて、理解し、「行」じて、「証(さとり)」果を得るとなります。
 ここで問題になるのが「『信』じて、理解し、『行』じて」です。仏教が受け取れないのはあなたの「信」が足りないからだ、理解できないのは努力・能力が足りないからだ、そして「行」が足りないからだという風に考えます。仏教を高尚なもの、難解の物だから頑張って努力精進してその域に達することが仏教であると多くの人が考えるからです。
 釈尊在世の頃は出家者も在家の者も釈尊の説法で救われていたと伝えられています。当時より出家者の僧伽(求道者の集い)を中心に仏教が伝えられてきました。そこには仏教の修行体系、学問体系が構築されて今日まで伝えられています。その後の仏教の伝統の中で問題になるのが「機教(ききょう)相応(そうおう)」、機と言うのは人間です。教は釈尊の教えです。お釈迦様の教えを受け取る側の問題、即ち「信」「解(理解)」「行」が、後の世代の時代状況、努力不足、能力不足、精進不足ということと世俗化(人間的幸せ、経済優先など)の流れの中で仏教への関心が薄れてきています。
 仏教の伝統の中で釈尊亡き後、時代が経るに従い、学問・修行して仏になる教理学、学問体系(聖道門の教え)を学ぶ僧侶の中から自他を共に救われる求道の歩みの中で、浄土の教えへの関心が熟して、龍樹・天親、そして中国浄土教の展開(曇鸞・道綽・善導)、それを受け継ぎ日本の浄土教の発展(源信・法然・親鸞)がなされました。
 聖道門の教えについては、膨大で完璧な教理学、学問体系がたてられていますが、それを本当に身を通していただいていくという道についてはまさにエリート的な人によってのみ命脈が保たれていて、多くの聖道門仏教の僧侶には形式だけをかろうじて継承するにとどまり、在家者には無縁なものになっていったのです。それを指摘したのが道綽です。末法において、今の世において、本当の救いを実現する教えは何か…、釈尊が観経の中で韋提希(いだいけ)に対して「汝は凡夫なり」と指摘するが如く、「凡夫の私」が救われる道は、道綽は浄土の三部経(無量寿経・観経・阿弥陀経)だけしかないと言われています。
 浄土教ははっきりと教えを受け取る人間(機)と時代の問題を指摘しています。それを機教相応と言います。機と教えとが箱と底と蓋のようにきちっと合う。教のところだけで完成させているのが聖道門だ。理論としては完璧だけれども、理論では救われない。むしろ機の方から言えばお手上げだ、理論が間に合わなくなっているとの指摘です。
 釈尊やその直弟子が生きておれば聖道門は有効かもしれません。まだお釈迦さんに聞けるから、ところが世は末法で世尊にあうことができないと、「悟り」と言っても空想しているだけで悟りかどうかわからない。何が悟りか分からないのに一生懸命修行をすると言ってもどこを目指して進んでいるのか……、そんなものが成り立つはずがない、と道綽が初めてきちっと明確に指摘されました。親鸞は道綽のお仕事を、「道綽決聖道難証」(道綽禅師は聖道門仏教は困難であると身を通してはっきりと言い切られた)、と正信偈にうたわれています。これは私たち(現代の浄土真宗の立場)からすると「あ、そうか」と思うけれども、これは大乗の歴史からすると、とんでもないことを言っているのです(延塚先生の講義録から)。
 浄土教の基本は仏説無量寿経(大経)です、その中で神話的に法蔵菩薩の御苦労の物語が説かれています。それはある国の国王が世自在王仏に出会い、出家者・修行者(法蔵比丘)となり、修行・瞑想によって目覚めた仏陀になったと伝えられる仏道(教)です(釈尊の出家・修行・瞑想……、成仏になぞっていると思われます)。
 釈尊が世自在王仏に出会った、即ち世に自由自在に生きる仏に出会って、国王以上に自由自在に生きる道があったのかと驚いたのです。ローマ時代の奴隷の子として生まれ、後に当時を代表する哲学者として現在でも「語録」が読まれているエピクトテス(50頃-135頃)が、「ローマの皇帝より私の方が『自由自在』に生きている」と言われています。後のローマ皇帝マルクス・アウレリウス(哲人でもあった、121-180、自省録)はエピクトテスの影響を受けて自由自在に生きる道を思索しています。
 鎌倉時代の「歎異抄(親鸞の弟子、唯円の著作)」の第七章には「念仏者は無碍の一道なり」(念仏の心に触れて念仏して生きる人はこの世を自由自在に生きる道に導かれます)という言葉があります。この世では身体的、社会的、経済的、心理学的、スピリチュアルにいろいろな問題に直面しますが、それはそれとしてこの世での解決に取り組みながら、仏教は精神的に自由自自に生きる道を教えるものです。
 この世で運よく、種々の面で恵まれていても、問題は必ず発生します。それは我々の思考が相対分別という計算的思考であるために、分別思考の結果を応用して自分流に思い通りに事を運びたいといわば管理支配しようとするからです。管理支配しようとするところに苦悩が必ず発生します。「人生苦なり」と仏教の言葉があるのはそのことを言っているのでしょう。相対分別思考で自分の思い通りのしようと悪戦苦闘する存在を仏教は「凡夫」と言い当てているのです。
 最近、ある仏教の会座(聞法の会)で参加者から「田畑先生は恵まれていて、何か悩みがありますか?」と問われたことがあります。恵まれているという一面はありますが……、仏教に出遇うまでは不足・不満・不安の思いが多かったように思い出されます。仏教のお育てを頂くようになって、少し変化したように思われます。しかし、今でも仏教の智慧の視点を忘れている時はまさに悪戦苦闘の私です。そういう私に仏教の先輩方は教えを残してくれています。
 梯実圓師は「お念仏というのは一声一声如来の全存在が南無阿弥陀仏となって私の人生を支えている状態がお念仏なのだ。だから如来のみ名が南無阿弥陀仏という、仏のみ名が私の人生の一コマ一コマを支えて行く。だから念仏を見失った人生というのは極めて危険だ。念仏を忘れ仏を忘れた人生は迷いしかない。仏(教)を忘れた人間は迷う、限り無く迷って行く。その迷っている者を呼び覚まして行くのが如来のみ名です。その如来のみ名によって呼び覚まされる。その如来のみ名は念仏となって私に届いている。だから念仏する事において私達は絶えず自己を超えて行く。自分の妄念を超え、自分の妄想から開放されて行く。そして心開かれる。そういう行と信というものが一つに融け合って、行と信が一つになって私の人生を支えている。これが本願の行信というものだ。如来が行を与え信を与えるという事です(仏が南無阿弥陀仏という名前(名号六字)となって「仏の智慧と慈悲の働き」を迷える私に届けようとはたらく(仏の行)ことを意味します)。」
 「南無阿弥陀仏」は、「汝、小さな殻を出て大きな世界を生きよ」「念仏する者を浄土に迎えとる」「我が名を称えよ、必ず救う」「われとなえ われ聞くなれど 南無阿弥陀 つれてゆくぞの 親のよび声」のよき師を通しての目覚めを促す喚び声なのです。善導の二河の比喩の釈尊の「君、ただ決定して、この道を尋ねて行け。必ず死の難なけん」の声であり、阿弥陀仏の「汝、一心正念にして、直ちに来たれ。我能く汝を護らん。」に通じる言葉です。自分の現在位置が「機、時は末法、機は凡夫、自力無効 それがなければ、浄土の教(「南無阿弥陀仏」)と相応しないでしょう。
 私にとっての救いはどうなることなのでしょう。局所的な問題で日々、追われながら毎日を過ごしながら、一体どうの方向を目指しているのでしょうか、老病死の課題の前に「現世的幸せ」の看板を立ててその先を見えなくして、結果として「死(不幸の完成)」への道をまっしぐらに進んでいるのでしょうか。
 私どもが迷うているということは、一つには私が本来何者であるのか、どこから来て、どこへ行こうとしているか、分からないことでしょう。私が如来の「汝(友よ、と呼ばれている)」であることに気づかないからである。「我れ能く汝を護らん」といわれる「汝」は、如来の本願海の真っ只中に生きさせていただいており、この命は私のものではなくて、如来に帰属するものです。お経に説かれている仏の願い(法蔵・弥陀仏の本願)、その願いを、よき師(諸仏)を通して聞かせていただいてみればまさに私の心の奥底に何となく感じていたものはそのことであったかと感応道交(仏と衆生のおもいが通い合うこと)するような気がするのです。

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