9月のご案内(B.E. Buddhist era 仏暦2567)

 仏教の歴史で第二の釈迦と言われる龍樹菩薩(インドの人、仏教の「空」の理論の大成者)の著作に『十住毘婆沙論』があります。中国で漢訳されて、日本に伝えられています。日本に平安時代までに伝わった仏教の八つの宗旨は龍樹に始まっているとされています。
 『十住毘婆沙論』の中にたとえ話があります、そのうちの一つに「大海分取の譬え」というものがあります。仏教の教えを知る上で貴重な喩え話です。大海の水(人間の苦をあらわす)を他に移そうとする(修行して苦を除く)時に、一本の髪の毛で大海の水を一滴、一滴分け取って移すというのです。大変な修行です。
 苦を除いていく過程で、「滅した苦は大海の水ほどになり、まだ滅していない残りの苦はわずか二三滴となった。漸くそこまで達した時大きな喜びがある」という意味の漢文(白文、漢字のられつ)を、親鸞が「大海の水はほとんど残っていて、二三滴を移した時に大きな歓喜が起こった」と読み替えたのです。まだ、やらなければならない事がたくさん残っているのに、ほんの「少し」を移し始めた時、大きな喜びが起こったという譬えの読み方に変えて読まれているのです。
 親鸞はなぜこのように読み替えたのでしょうか?
 読み替えに対して漢文の専門家であった福永光司氏(ふくなが みつじ、1918- 2001、中国思想史研究者。京都大学名誉教授。老荘思想・道教研究の第一人者、旧制中津中学(現在の中津南高)卒業)は疑問を言われたそうです。しかし、仏の智慧、浄土教の視点からはそうとしか読めないという心でしょうか。
 親鸞の読み替えの心を尋ねてみたいと思います。
 私たちは量的な思考に慣れて、それが骨の髄までしみ込んでいます。私も勤務時間の終わりが近づくと、時間に縛られる感覚から少し解放されて家に帰れるという軽い心になります。以前、前任地で人間ドックの掛かりをしていたことがあります。定員が15名だとします、検査結果が出て診察をした後、説明をして終わりです。それを15人すると結構時間がかかります。終わりに近い、13人目、14人目になると、「ああ!、終わりが近づいた」とほっとするのです。勤務時間や人数に縛られて仕事をしていると、そういう日常生活が繰り返されていることを経験するでしょう。
 私は運よく仏教に出遇って「生きること」を仏教に照らされて学ぶようになり、人生というものを俯瞰的に仏の智慧で考えるようになりました。我々の普段の思考では、老病死まで見通して考えるということはほとんどありません、あっても概念的にちょっと考えますが、実感を伴ってなかったということを後期高齢者になろうとする身には実感されるようになりました。老病死に直面すると必ず不安を引き起こすでしょう。そういうことは考えないようにして、楽しいことや明るいことを考えようとして我を忘れて過ごしています。こういう意識の思考の背後に煩悩性が潜んでいて我々を操ろうとしているのです。煩悩性の沁み込んだ分別思考(自分を中心にして外のことばかり考える)で生きていると、あっという間に時間が過ぎてゆきます。結果として「生老病死の四苦」に否応なしに直面して愚痴の想いに振り回されます。仏教ではそういう生き方は空過流転になると指摘します。
 仏の智慧で外ばかりでなく心の深層まで照らされ知らされるようになると私の苦悩や不安の原因は縁起の法を無視して、自力の計らいで生きており、その基礎の分別思考、その背後に潜む煩悩性によるものだと知らされます。そうすると、仏教の「人生苦なり」(思い通りにならない)ということが明らかになります。仏智に照らされての気づきは、仏の前で「参りました、仏の言う通りでした。教えてもらわないと、そのことに気づく事すら無いまま人生を終わろうとしていました。ありがとうございました。南無阿弥陀仏」、と。仏の智慧に身をもって目覚めさせられ頭を下げて懺悔・感謝するでしょう。
 愚かで迷いの姿に目覚める時、その愚かの過去は何時からだろう、と考えてみると人類が、直立歩行しはじめ、言葉による思考を始めた数十万年前からだろう、いや類人猿の時代からの数百万年前にたどり着くかも知れない。弘法大師、空海が仏教に出遇って、自分のあり様を「生まれ、生まれ、生まれて生の初めに暗く、死に死に死に死して、死して死の終わりに冥(くら)し、と読まれています。光に出遇って終わりのない暗闇が見えたのです。
 医療現場では、老病死の場面で痛みや苦しみが無いように薬物治療や看護を尽くすように心がけています。肉体的・精神的な痛みに十分に対応すると、「死ぬために生きているのですか」「このまま人生を終わってしまうのでしょうか」「死にたくない」などのスピリチュアル(霊性的)な痛みが表白されることがあります。それらの訴えは仏の無分別智から見ると分別思考や煩悩性に由来する妄念、妄想であると照らし破られる時、仏の大きな働きの場(浄土)に包まれるのです、そして仏前に五体投地して懺悔と歓喜の表現、「南無阿弥陀仏」と念仏する時、「生きる死ぬは仏にお任せ」、という世界に導かれるでしょう。
 南無阿弥陀仏(念仏、名号。智慧と慈悲のはたらき)は私の心の闇を照らし出し、照らし破るはたらきです。そして迷いの深さ、愚かさに目覚めた者を必ず救う、摂取不捨の包容力のある圧倒的に大きな仏の世界に迎えとる、仏のはたらきを示す言葉です。
 聞法の歩みの中で、南無阿弥陀仏は方便法身、仏が念仏する者を浄土に迎えとる、というはたらきとして人間に認知できる形(声、呼びかけ、叫び)で現れた仏、阿弥陀仏のこの世での相・姿である受けとれるように導かれます。私が念仏する時、仏と私が一体と成り(自他一如)、圧倒的に大きな、無量寿(仏そのもの)に摂取不捨されるのです。そして生きている限り、仏から頂く、役割・使命に気づき、仏から頂いた仕事として、念仏して報恩行に励むでしょう。
 生きる方向性がはっきりした、往生浄土の歩みが人間としての成熟、成仏の方向性であった。浄土論の一節に「浄土(仏の世界、真の教え)へ向かっての歩み(往生、往生浄土)のなかに本当の満足・知足の世界がある」という表現があります。仏の世界にたどり着かなくても、その歩み、過程の中に仏のはたらきに包まれた安心の世界が恵まれるのです。
 残された仕事、大海の水の量は多くても、自分の迷いの深さ、無始以来の迷いの暗闇の深さ広さ、そして終わりのない迷いの繰り返し、エンドレスの暗闇の苦悩を思うと、救いの方向性がはっきりしたことは大地が揺れ動くような画期的・驚愕するような出来事なのです。
 浄土は仏のはたらき(智慧と慈悲)の場です。この世では僧伽(さんが)がそれを示しています。そこへ行けば、仏がいらっしゃり、法が説かれており、求道者の仲間がいる場です。お寺がそういう場になることが願われるのです。世俗の価値観を超える場として仏教の世界があったのです。出家とは世間を出た、超えた世界が釈尊在世の時の精舎だったのでしょう。
 仏滅後、2千年を超えた現在は末法の時代と言えるでしょう。そこでも仏のはたらきが機能するのは、全ての人が仏の心に触れて念仏する浄土の教えです。妙好人、才市が仏の心を頂いた言葉を「浄土はどこだ、ここが浄土の南無阿弥陀仏」と詠っています。
 仏教は生きていくうえでの心の内面の孤独と虚無感・人生の不全感の解決を使命としているのです。

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