7月のご案内(B.E. Buddhist era 仏暦2568)

 大分県宇佐市で育ち、大学で福岡市に出て、社会人になって40歳頃再び故郷に帰ってくると、地元への愛着が強くなるように思います。比較的に標準語を使っていたものが、最近は知らず知らずに身に着いていた方言が出てしまいます。他県へ行って講義・法話をすると、私には自覚はないのですが、出席していた大分県出身者から「懐かしい言葉遣いがあった」と感想を言われます。
 振り返ってみると戦後すぐに生まれ(昭和24年)、自我意識が育つ頃は住民の9割ぐらいが農業に携わる地域で他は公務員的な仕事(教員役場の職員)がわずかでした。我が家は父が軍隊から帰ってきて農業と製塩業をしていましたが製塩業が輸入物に代わり、小学校3年の頃、廃業となりました。農業も土地の広さに限りがあり、親の話にブラジルへ移民しようかという話題があった記憶があります。農業の発展性が限られており、次男、三男は都会へ出てサラリーマンになる方向性しかなかったように思います。農業以外の職業の人を見る機会は少なく、進学するにしても経済的には公立高校・大学以外の選択は考えられませんでした。
 日本の社会を考えても江戸から明治時代、武士の社会か天皇性の神道国家で民主主義は未熟で、権力に逆らうなど考えられず、「強いものに巻かれる」的な市民の選択の幅の少ない社会であり、戦後しばらく価値観・人生観の多様性はなかったように思います(私自身が未熟であった)。
 大学生4年頃から出遇った仏教の学びの中で金子大栄の「人生はやり直しはできないが、見直しはできる」、藤代聰麿さんの「これからが、これまでを決める」、細川巌師の「人生を結論とせず、人生に結論を求めず、人生を往生浄土の縁として生きる、これを浄土真宗という」は世間の常識から言うと「エッツ」と思わせる内容です。
 これまでの歩みの結果が、今日であり、これまでの歩みの軌道修正をして未来を切り開いてゆくという発想でした。記憶は不確かですが、小学校の頃、授業の最後の時間に学級会で反省会があり、そして努力目標を決めると、という取り組みがあったように思います。
 また師の法話の中で“隣百性”という話がありました。農業の知識がないとなかなか農業はできません。現在の私の状態でもありますが、近所の人たちの農作業を見ながら、田や畑を準備をするのを見って、そのまねをする。作物を植えだしたらお店に行って苗を買ってきて植える、などなど近所の農作業をみながら真似(まね)をすると、何とか農業の真似事はできる、いつも近所の畑や田んぼの様子を見て農作業をする“隣百性”という話でした。それに関連していつも世間や世間の目を気にしながら行動をするという習性が身についてきています。
 お寺からいただいたカレンダーの7月の言葉は「行いと言葉の背後に、世間があるか、如来があるか」でした。仏教の教えを聞法しないと考えることは主に「世間の目」ではないでしょうか。都会で隣付き合いのない生活は世間の目を気にしなくなる傾向にありました。しかし、意識の深層にある煩悩(我痴、我見、我慢、我愛)の一つに「我慢」があります、「慢」とは身にしみついた比較をする心を示しています。世間の目を気にするとまさに他の人と比較して分別します、上だ下だ、勝った負けた、損得、優劣、知識の多い少ない、経済的な上下、学歴、容姿、昔の家柄、等々です。
 如来・仏の目は無分別智の世界ですから、分別してもそれに付随する価値への執れが無い世界です。分別して認識しても分別した物の価値的な執れを超えているのです。超えるということは有る無いを超えるということです。そして無分別思考はプラス要因、〇要因、マイナス要因、×要因にも等しく「意味」や「物語」があると受け取るのです。仏智(智慧)を、物の背後に宿されている意味を感得する見方、といいます(世間的分別の知恵は、物の表面的な価値を計算する見方)。自我意識は自分を中心において外の状況や対外的な自分の属性(外観など)を分別するから比較して心は上や下へと揺れ動きます。そして自分に都合の悪いものが私を苦しめます。分別思考は私達の骨の髄までしみ込んでいるので生きている間は逃れることはできません。
 無分別智の世界と接点を持ち無分別の世界から分別の世界・生活を照らし出されると分別思考の問題点が陰(かげ)日向(ひなた)なく照らし出されます。その実感は分別思考の牢獄に閉じ込められ、その上に煩悩(身と心を悩ます)に振り回されているという相(すがた)が知らされるのです。親鸞聖人は「煩悩具足の凡夫」「火宅無常の世界」「地獄は一定住みかぞかし」などと表現されています。
 そして仏の救いは、私の相の事実を知らせ、迷いの私を智慧の世界(浄土)に迎えとるとのはたらきを実感しながら生きる身に導かれるのです。仏の智慧は、我々への働きかけを方便法身「南無阿弥陀仏」として、届けられているのです。その心は「汝、小さな分別の殻を出て、大きな仏の無分別智の世界を生きよ」「念仏するものを必ず浄土に迎えとる」です。その働きを受けて素直に南無阿弥陀仏と念仏するのです。
 智慧を説明するのに「慧」は私の迷いの姿を知らせるはたらき、そして「智」は転成の智慧のはたらき、転悪成善のはたらきを示します。私にとって都合の悪い諸々や要因が意味や物語があると知らされ、私を苦しめたり,悩ますことは少なくなり、いやなくなり、私の歩みを邪魔するものに成りません。そしてそれらは全て、私との関係で密接な存在で私を生かし、支え、教え、気づかせ、鍛え、成熟させるものとして受け止めて行けます。まさに「念仏者が無碍の一道なり」となるのでしょう。普遍的宗教は自分に無いものを追い求めるのではなく、既に与えられているものに目覚め「存在の満足」(知足)に導くものだと社会哲学者の今村仁司師が書かれていました。
 仏教の無分別智は我々を無碍道に導き、全ての人の仏智によって自分の人生を「私は私でよかった」へと導かれると思います。世間的には挫折や失敗を乗り越え、敗者復活に導くものでしょう。復活といっても世間的な復活を超えて、質的な復活へ導くものだと思います。
 円徳寺での「教行信証に学ぶ会」の講師、延塚知道師が大学進学時に父上から言われた言葉「お前がどんな生き方をするか知らないが、どんなに人から褒められる生き方をしたとしても、仏教がなかった夢のように終わる。仏教さえあれば、貧しくても豊でも全部自分の人生になる。だから、他のことは分からなくてもいい、仏教が分かるために大谷大学に行ってくれ」を聞きました。
 前の方で紹介した先生方の言葉は老病死の苦の課題への仏教的敗者復活(質的復活)に導いてくれる教え、分別を超えた言葉として響きます。

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