「今を生きる」第1回   大分合同新聞 平成16年5月10日(月)朝刊 文化欄掲載

 私は最近パスカルの言葉(著作「パンセ」の中にある)に出会ってびっくりしました。「われわれは未来を目的にして、過去から現在までを、未来のための手段・方法としている」という趣旨の内容でした。 我々は明日こそ希望が実現できる、このことが解決すれば満足が得られる等、あした、未来に希望を持って、現在、今日を頑張っている、いや頑張ってきました。そのことが今までの人生のすべてではなかったか、いや、今も、これからもそうであろうと思われます。
 昨年、勤めていた病院の隣の小学校からは、運動会の練習で「あしたがある、あしたがある、―――」という歌詞の曲が何回も流れてきて聞いていました。 小学校であしたのため、将来のため、努力しましょうと教えられ、中学、高校、大学へと希望をもって進んでいった記憶があります。
 ところがあるお坊さんは「明日こそ幸せになるぞといって生きているということは、今、現在が、不足・不満というあり方をしているということを示しているにすぎない」と言います。パスカルも「我々は将来、幸せになる為の準備を現在して、その準備ばかり繰り返している」、と言い当てています。
 我々は当たり前と思い、深く考えずに日常生活を営んでいます。それだけに思索を重ねた先人や先輩の言葉に「私は思い違いをしていた」と教えられることや、気づかされることが多くあります。そういう先人の思索、経験の積み重ねが、人類の文化としてあるのでしょう。 文化とは、英語では耕すという語源から出た言葉であるようです。心を耕すことが「今」、「今日」を手段・方法でなく、目的とする豊かな受け取りへと結びついていくと思われます。 心の領域は目には見えませんが、大事なところです。「今を生きる」ということでさらに考えて行きたいと思います。

田畑正久(たばた まさひさ)
1949年、大分県宇佐市の生まれ。九大病院、国立中津病院を経て東国東広域病院へ、同院長を10年間勤め2004年の3月勇退。現在宇佐市の佐藤第二病院に医師として勤務、飯田女子短大客員教授として医療と仏教の協力関係構築に取り組んでいる。

(C)Copyright 1999-2017 Tannisho ni kiku kai. All right reserved.