「今を生きる」第5回   大分合同新聞 平成16年7月5日(月)朝刊 文化欄掲載

 禅僧の言葉に「今、今日しかない」というのがあります。私の体に所属する時間は現に「今、今日」しかないということです。明日はないのか? それは今、今日をおろそかにして、「明日こそ」とか、「これにきりがついたらよくなるぞ」、と将来(明日)を夢見て生きている我々に、「今、今日を大切にしなさい」との警告の意味もあり、目を覚ませと言っているのです。「今、今日しかない」ということにとらわれと将来の夢や希望がなくなり生きる元気が出てこないと思いがちですが。そう思うのが智慧がないからなのです。
智慧をいただくとか身につけるということを、科学的な思考でたとえると次元が高くなる視点を身につけるということでしょう。一本の線の上の世界、ロープの上を綱渡りみたりするみたいな世界を一次元といいます。2次元の世界は線から面になり、横幅ができ広がりを持つ平面の世界です。ロープの上の綱渡りでは離合ができません、ぶっつかった時にはどちらかが落下せざるをえません。しかし、面になると避け合って離合が可能になります。そのように低次元では勝ち負け、損得しかないと思っていたものが智慧を得て幅のある考えが出来て勝ち負け、損得を超えた解決の方法を見出せるのです。低次元では智慧のある次元のことを理解できません。そんなことあるはずがないと認めようとしません、そして低次元の思いにとらわれるのです。しかし、智慧の次元をうなづけた者は智慧のない次元のことがよくわかるのです。それは今まで自分が経験して居た世界だからです。超えてみて元の世界がよりよくわかるのです。そして智慧のない自分の現実を大いなるもの(仏、神、宇宙)の前に懺悔するのです。
明日こそ、明日こそと未来の夢や希望に生きていた者が「今、今日しかない」との教えに目が覚めると、自分の思いを翻して私にかけられた願いを知らされ、その大きな願いを心に秘めて、今日を一生懸命に生きる姿勢に変わるのです。2次元は1次元を含んでいるように、智慧をプラスした次元だとあるがままの姿が見えて『今、今日しかない』と気づき、その脚下の今日に完全燃焼する。同時に明日への願いを持つ、という広い視点が矛盾なく両立する世界なのです。

田畑正久(たばた まさひさ)
1949年、大分県宇佐市の生まれ。九大病院、国立中津病院を経て東国東広域病院へ、同院長を10年間勤め2004年の3月勇退。現在宇佐市の佐藤第二病院に医師として勤務、飯田女子短大客員教授として医療と仏教の協力関係構築に取り組んでいる。

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