「今を生きる」第6回 大分合同新聞 平成16年7月19日(月)朝刊 文化欄掲載
普通、多くの人は人間の体の中で頭が大切だと考えます。それは人間の考える中枢と思われる脳のある場所だからです。また、自分を自分たらしめているのも脳だと考えています。デカルトの「われ思うゆえにわれあり」という言葉があるぐらいです。
「今を生きる」主体の私は、意識の中枢の脳に深く関係するとごく自然に思います。何らかの原因で脳死になると、本人の提供の意思表示があれば、体の一部の心臓や肝臓等の臓器を移植する対応が取れるよう、日本でも法律ではなっています。
私を私たらしめている中枢は脳でしょうか。
動物実験で、ウズラとニワトリの脳の移植が報告されています。受精卵の発育途中で脳になると思われるウズラの一部分を、ニワトリの脳になると思われる部分を摘出して同部に移植したというのです。脳を移植されたニワトリの受精卵は順調に発育してひよこになったそうです。
ひよこはニワトリかウズラか判断しにくい鳴き声で鳴くので、声紋を調べたら、確かにウズラの鳴き声と判断されたのです。ウズラの脳がニワトリの主になったのです。
しかし、数日後からそのヒナは体調が悪くなり、倒れ、こんこんと眠り続けて死亡したのです。解剖の結果、体の中の免疫をつかさどるニワトリのリンパ球が、脳は自分ではないと拒否反応を示して、移植されたウズラの脳組織を攻撃している組織像が研究で判明したということです。
意識をつかさどる脳が私か、体の自己と非自己を区別する免疫系が私を私たらしめている中心か、難しいところです。
体全体が私なのに、対象論理で体を臓器のレベルに分けて考え、その機能を理解して、生命維持のための重要度を決めて、大切なところ大切でないところと勝手に分けて考える思考が本来のあるべき姿ではないのかも知れません。医療現場では重傷患者の救命に当たって、医学的には臓器の治療の優先順位は確かにありますが………。
言葉や行動をつかさどる中枢は、脳でしょう、しかし、無意識の領域や感性の領域は解明の途中であり、体全体と脳の連携が重要な役割をしているとの報告も出てきています。「今を生きる」私はどこにあるのでしょうか。
田畑正久(たばた まさひさ)
1949年、大分県宇佐市の生まれ。九大病院、国立中津病院を経て東国東広域病院へ、同院長を10年間勤め2004年の3月勇退。現在宇佐市の佐藤第二病院に医師として勤務、飯田女子短大客員教授として医療と仏教の協力関係構築に取り組んでいる。
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