「今を生きる」第8回   大分合同新聞 平成16年8月16日(月)朝刊 文化欄掲載

 「今、今日しかない」というと多くの人から、今日ではなく将来に希望をもって頑張らなければ人間社会の進歩がなくなるのではないですかと質問されます。
人間のイキイキと生きている姿に2種類あると思われます。一つは「追い求める、いきいき」であり、「これがうまくいけば」「ローンを返してしまったら」「この資格をとるぞ」などと目指すものを追い求めて頑張るイキイキです。
もう一つは、多くのものに支えられ生かされていることを知らされ、目覚めさせられた喜びを心に秘めて、悩めるご縁のある人々に、大きな世界のあることに気づいて欲しいと、あふれ出る感動を持って対応して、今日、そして将来を見つめて仕事にも願いを持って取り組むイキイキです。
 追い求めるイキイキは欠点があります。(1)相対的な世間では、限りなくよりよいものを求めて生きていきますから終わりがない。(2)目標が達成されるとすぐにそれが当たり前になり、次なる関心事に心が向いていく、(3)価値があると思われるものに対して意欲がわき、価値が見出せなくなるとすぐにやむ。
 そうはいっても人間は死ぬまで努力、精進が大切で、終わりのない、追い求めて「生きる」ということが人間ではないですかとさらに問われます。
 パスカルは皮肉を込めて「人は死ぬまで幸せになる準備ばっかりしている」と言っています。準備ばっかりしていると、あるガン末期の患者さんの愚痴「いい生活はしてきたけれど、本当に生きたことがない」ということになります。
 未練と言う言葉があります、若い人が亡くなった時、さぞ心残り、残念だったと思うと言いますが、それは未練が残っただろうと推察しているのです。未練というところに、過去から今日まで「明日に夢を持った人生」の総決算が不足・不満ということで示されています。
「今、今日を生きる」ことの大切さに目覚め、成熟する者は、そんな時でも「時間ですか、はい、それではさようなら」と区切りがつき、未練はなくなるのです。

田畑正久(たばた まさひさ)
1949年、大分県宇佐市の生まれ。九大病院、国立中津病院を経て東国東広域病院へ、同院長を10年間勤め2004年の3月勇退。現在宇佐市の佐藤第二病院に医師として勤務、飯田女子短大客員教授として医療と仏教の協力関係構築に取り組んでいる。

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