「今を生きる」第14回   大分合同新聞 平成16年11月15日(月)朝刊 文化欄掲載


 国立長寿医療センター総長、大島伸一氏のインタビュー記事に「高齢者医療では客観的な事実や統計に基づいた医療の確立はもちろんですが、それ以上に人間的な側面からのアプローチが求められます。人生ではっきりしているのは『自分の意思で生まれてきたわけではない』と『いつかは必ず死ぬ』の二つです。人生は山あり谷ありの道程のなかで自分はいったい何のために生まれてきたのかを追求する作業であり、幸福な一生とは、幕が下ろされる瞬間に『ああ、生まれてきてよかった』とつぶやけることではないでしょうか」、と出ていました。
 長寿ということを、生きている時間の長いことと考える、時間への囚われがあったりすると、95歳のおじいちゃんにお孫さんが「おじいちゃん、あと5年は生きて百歳まで生きてね」と言ったら、おじいちゃんが「たった5年か」と答えたというような事態が生じます。相対的な時間の長さを追求する限り満足な時間はないでしょう。
 世間の常識で幸福への条件のプラス・マイナスを考えるとき、「老いる」ことはマイナス,「病む」こともマイナス、「死ぬ」こともマイナスと考えれば、すべての人間は不幸の完成で人生を終わることになります。すべての人が不幸の完成で人生を終わるという社会が、本音で素晴らしいと言えるでしょうか。いやそうだから医療が「不老・不死」を目指して頑張っているのかもしれませんが。
 仏教は生きている時間の長い、短いにとらわれないで「今」「今日」の充実を目指す教えです。教えの内容を尋ねていく歩みの中で、教えの大きさに触れて、自分の愚かさを知らされ、仏の世界を感得する時(永遠、無量寿と通じる時)、自然と知足(足を知る)へ導かれるのです。
 その大きさ(神、仏、宇宙)に圧倒され、人間に生まれてよかった、生きてきてよかった、出合うことができてよかったと感動を持って「今」「今日」を生ききって行くのです。そこでは主体性を持ちつつ、大いなるものへのお任せを生きることになるのです。

田畑正久(たばた まさひさ)
1949年、大分県宇佐市の生まれ。九大病院、国立中津病院を経て東国東広域病院へ、同院長を10年間勤め2004年の3月勇退。現在宇佐市の佐藤第二病院に医師として勤務、飯田女子短大客員教授として医療と仏教の協力関係構築に取り組んでいる。

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