「今を生きる」第15回   大分合同新聞 平成16年11月29日(月)朝刊 文化欄掲載

 「人生論ノート」(三木清)の幸福についての項目で「幸福とは人格である。人が外套(がいとう)を脱ぎ捨てるように、いつでも気楽にほかの幸福を脱ぎ捨てることができる者が最も幸福な人である。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのモノである。」書かれています。
またカール・ブッセの詩「やまのあなた」(上田敏 訳)「やまのあなたのそらとおく『さいわい』すむとひとのいう。ああ、われひとととめゆきて、なみださしぐみ、かえりきぬ。やまのあなたのそらとおく『さいわい』すむとひとのいう。」は幸せを探すことをうたった詩です。
この二つに共通なものは、幸せとか満足の世界は自分の外側にはないことを教えてくれています。「幸福を探して幸福を見つけた人はいない。」という言葉があります。自分の内面を抜きにして幸せ、満足の世界はないことを教えているように思います。
マザーテレサが日本の現状を見られて「豊かそうに見えるこの日本で、心の飢えはないのでしょうか?(中略)心の貧しさこそ、一切れのパンの飢えよりも、もっともっと貧しいことだと思います。日本の皆さん、豊かさの中で、貧しさを忘れないで下さい」と発言されています。
われわれは先輩方の文化の蓄積の中に学び、心を耕すことを怠って、新しい物が良い物だ、何かおもしろい物、楽しい物、好奇心を満足させる物を自分の外側に追い求めて、そして明るい明日があることが希望だと、走り回っていないでしょうか。
外側に何かを、そしてあしたこそ幸せになれるぞ、と追い求めていることは、本人は意識しているかどうかは分かりませんが、心の奥底に不足、不満があることを示しています。これを「心の貧しさ」と指摘されたのです。
文化、カルチャーとは耕すということが語源であります。心が耕されると心が柔軟に、豊かになり、感動しやすくなります。そして今まで気づかなかった物事の背後にある意義をも感得するようになるのです。
私達が当たり前と思っている「人間として生まれて、生きている」ことの中に、思いもしなかった深い意味、意義のあることに気づき、目覚めへと導かれていくのです。そのことが自分の存在を「ありがたい」、「もったいない」、そして「恩」ということも考えるようになるのです。

田畑正久(たばた まさひさ)
1949年、大分県宇佐市の生まれ。九大病院、国立中津病院を経て東国東広域病院へ、同院長を10年間勤め2004年の3月勇退。現在宇佐市の佐藤第二病院に医師として勤務、飯田女子短大客員教授として医療と仏教の協力関係構築に取り組んでいる。

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