「今を生きる」第16回 大分合同新聞 平成16年12月20日(月)朝刊 文化欄掲載
世阿弥の『風姿花伝』(一名、花伝書)の中にある「初心わするべからず」という言葉は有名であります。その内容を尋ねてみると・是・非の初心(通常使われている最初の決意)ということをいわれていますが、さらに、・時時の初心(30才台、40才台等その時々に決意すること)忘するべからず、とあります。そしてさらに・老後の初心忘するべからず、となっています。
この言葉は、一つの道を究めていく上での大切な要点を教えてくれています。初心の心は「未熟な時代の自分の姿を見つめる」ことを意味しています、いろいろなことを謙虚に学ぶという姿勢で無心に物事に対する姿勢を教えてくれているのでしょう。そして「おどろく心」を持ち続けることだと思われます。
私たちが人生を生きていくことも一つの道と考えられます。生きることの専門家、生きることのプロになることが大切です。そうすれば、年齢を重ねるごとに輝きを放つ人生を生きることが実現するのです。
しかしながら、私たちの日常生活の内容の80-90%は前日の繰り返しといわれています。私たちの意識を苦しめるものの一つが、初心の心とは反対の「マンネリ化」です。そこには人間の「慣れ」と自分の思いにとらわれるという問題があります。この課題の克服には区切りをつけることが大切だ、と仏教は教えてくれています。
具体的には「死ぬ練習」というのはどうでしょう。「エッ」とびっくりされるでしょうが、具体的には「朝起きる時が今日の私の誕生と受け取り、初心を持って出発して、今日の仕事を精いっぱい取り組む。そして夜、寝るときはこれで今日の命を終わる(死ぬ)と思ってやすむ。」これがまさに「死ぬ練習」です。区切りをつけることの大切さを言いたいのです。人生はこの繰り返しとなるのです。
「今日」「今」が明日のための手段・方法でなく、目的であるような受け取りができるためには、今、今日を初事(はつごと)として初心で受け取るのです。そして仏の智慧(ちえ)によって今日で区切れていくのです。
仏教の「縁起の法」が、このような生き方こそ本当の物事の在り方ですよと教えています。万物は一刹那(せつな)ごとに生滅を繰り返すという在り方をしていて、人間も同じ、在り方をしていることに目覚めなさい、と教えています。
田畑正久(たばた まさひさ)
1949年、大分県宇佐市の生まれ。九大病院、国立中津病院を経て東国東広域病院へ、同院長を10年間勤め2004年の3月勇退。現在宇佐市の佐藤第二病院に医師として勤務、飯田女子短大客員教授として医療と仏教の協力関係構築に取り組んでいる。
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