「今を生きる」第17回 大分合同新聞 平成16年1月3日(月)朝刊 文化欄掲載
夫婦2人暮らしで、ご主人の方の主治医を私がしていました。そのご主人は高齢と病気で亡くなられました。その縁で私が担当させて頂いたご婦人がいます。胸のレントゲン写真で肺に小さな陰のあるご婦人で、肺ガンを疑って種々の検査をしたが癌の可能性は非常に小さく、経過を見ることになりました。
7・8年以上経過して大きさに変化がないのでまず大丈夫と判断していました。通院間隔を長くしてもよかったが健康には注意される患者さんで、「毎月先生の顔を見た方が安心できるので」と言われ、通院されていました。
このご婦人は来院のたびに、「胸のレントゲンの陰は癌ではありませんか」と問われます。「以前、検査で異常なしでしたし、長年経過を見ても大きさや形に変化が無いから、心配いりませんよ」、と説明します。すると彼女は「これは将来、癌になりませんか」と聞いてきます。
外来で来るたびに同じ内容の質問をされるのです。健康のことを過度に心配されていることが伝わって来ます。
そこで、ほかに健康に関しての問題はないので健康の事は、医療関係者にお任せして、健康の問題で振り回されるのではなく、もう少し日々の「生き甲斐」等について考えられたらと注意を「生きることの意味」や人生の生き方等に向けようと試みましたが、健康へのとらわれをなかなか越えられません。
少し嫌みもこめて「健康で長生きして、何をしたいのですか」、と言うと「別に何も特別なことは無いのですが」、という。
人間関係が十分出来て冗談も言える間になったとき、もう一押しして「生きる意味、生きることでの自分の使命、仕事等について考えてみたらどうですか」、と聞くと、「先生はそう言うけれど、世間の人はみんな健康が一番と言っています」とするりとかわすのです。
現代人は自分の外側の興味深いことには好奇心が旺盛ですが、自分を見つめるということは苦手のように思われます。
私の心の中では「世間の人のことではない、あなたの気持ちを聞きたいのです」と言いたいが、そこまで言うと押し売りになりますので言わないことにしています。でも自分が主体性をもって、「今を生きる」と言うことは大切な課題なのです。
田畑正久(たばた まさひさ)
1949年、大分県宇佐市の生まれ。九大病院、国立中津病院を経て東国東広域病院へ、同院長を10年間勤め2004年の3月勇退。現在宇佐市の佐藤第二病院に医師として勤務、飯田女子短大客員教授として医療と仏教の協力関係構築に取り組んでいる。
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