「今を生きる」第18回   大分合同新聞 平成17年1月24日(月)朝刊 文化欄掲載

 「ドーナツ人間」と言う言葉を聞いたことがあるでしょうか。
材料をこねて棒状の物を作り、それをまあるく輪状にしてドーナツはできています。そのように中心部が何もなくて、回りに実が実質が輪を作っている。つまり、内部が空っぽで、外側にいろいろな物を集めているさまをドーナツ人間とやゆしているのです。
一般的に、私の意識は外界の事柄を分別で取捨選択して、良いと判断される物を集めて自分の所有物にして、好ましい物で自分のまわりを固めようとしているとみることができます。
好ましい物は物質・財貨であったり、資格であったり、肩書きであったりします。特に世間で評価される事柄が増えたり、うそでもほめられたりすると、何となく誇らしく、自分自身が評価されたような錯覚に陥りがちです。また、電子機器や自動車等の便利な機械を入手して使いこなすと、あたかも自分の力が増えたかのような思いになって、操作する心地よい充実感を持ちます。
現代人は文明の発達で、昔であればびっくりするような能力のある物を次から次へと手にするようになりました。そして合理的な考えで,効率、能率を考えて、自分の思いを実現させようと思いを巡らして努力してきました。
まして現役世代は職場で、地域社会で、家庭で、しなければならない仕事に囲まれて動き回らざるを得ない現実で,まじめであればあるほど忙しいと追われるかのように我を忘れて取り組んでいます。
そんな中で、思い通りにならない課題の壁に直面して、ちょっと立ち止まり、自分を見つめたり、ふと過去を振り返る時、そこに外側のさまざまな物はそこそこに集めたかもしれないが、内面の充実感,喜びのなさと、生きたという実感のなさを感じるのです。
ある識者が「豊かさを追い求めた結果、物の豊かさは手に入れたが気付いてみると心は空白であった」、と言い、また、「心の内面の広がりのある世界を知らないまま生きるということは、人生の半分を知らないまま過ごしていると言うことです」と言われています。 今は物の豊かさと引き替えに、自分の人生を喪失してしまった状況ではないでしょうか。そんな現代の日本人の現況を「ドーナツ人間」と言われるのでしょう。まさに、自分の内面を豊かにする取り組みがおろそかにされてきたのではないかと、反省されることしきりです。

田畑正久(たばた まさひさ)
1949年、大分県宇佐市の生まれ。九大病院、国立中津病院を経て東国東広域病院へ、同院長を10年間勤め2004年の3月勇退。現在宇佐市の佐藤第二病院に医師として勤務、飯田女子短大客員教授として医療と仏教の協力関係構築に取り組んでいる。

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