「今を生きる」第24回   大分合同新聞 平成17年4月18日(月)朝刊 文化欄掲載

 迷い(4)
都市社会は人間の思いが実現できるようにつくっていった社会です。事実、存在価値があり、目的のある物(市役所、郵便局、銀行、駅、学校など)が集まって都市が出来上がってきました。生活する者に便利がよく、仕事も効率よくできるようになります。 
この都市社会には次のような課題があります。
・ 人間が部品化する。
・ 時間の輝きがなくなってくる。
・管理社会になっていくなど。
電車などの交通機関も時計のような正確さで時刻表に沿って運行されています。そこで生活する現役世代の者は、自分の手帳の予定表に沿って仕事をこなしていきます。ひとつの仕事が終わると、次の仕事というように、効率よく仕事をして行きます。
社会で生活する以上、予定表に沿った仕事は避けることはできません。しかし、注意しないと次の予定のための「途中」を生きることになるのです。
なぜ時間の輝きがなくなるのか? それは「今」を生きるのではなく、「途中」をだらだらと生きることになるからであります。
『途中』(磯村英樹作)という詩があります。
「今、途中だと思っている顔が電車に並んで腰掛けている。立って吊り革にぶら下がっている。電車が終着駅につけば、次の途中へ乗り換える。電車を降りても途中、家にたどり着いても途中、飯を食うときも途中、眠っている時も途中、何かが行く先にあるような気がして、死ぬまで途中の顔をしているに違いない。そんな中途半端な顔ばかりが並んでいる。今、今日を生きている顔はないのか。」
こんな生き方を「迷い」と言い、その結果として「空過流転」の愚痴の人生になりますよと、仏法は教えるのです。

田畑正久(たばた まさひさ)
1949年、大分県宇佐市の生まれ。九大病院、国立中津病院を経て東国東広域病院へ、同院長を10年間勤め2004年の3月勇退。現在宇佐市の佐藤第二病院に医師として勤務、飯田女子短大客員教授として医療と仏教の協力関係構築に取り組んでいる。

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