「今を生きる」第27回   大分合同新聞 平成16年6月6日(月)朝刊 文化欄掲載

 もったいない(3)
  「もったいない」という言葉を環境ジャーナリストが「too good to throw away (捨てるには善すぎる)」と英訳したといいます。確かの環境問題を課題とするとき、資源を無駄にしないようにという意味で「捨てるには よすぎる」という訳は意味をよく適切に表現していると思われます。しかし、言葉には長年の人間文化の蓄積で種々の意味がこめられています。例えば「私の主人は素晴らしい人です。私にはもったいないような夫です」という文章の、もったいないを前記のような英訳にすると、意味としては「私の主人はまだ使える、捨てるにはよすぎる」という意味になってしまい、発言者の心が十分には伝わりません。現代人は言葉を単に意思伝達の道具や方法と考えがちですが、言葉には道具以上の意味があることが学者によって解明されつつあるようです。
  一般の世間の見方は「物の表面的な価値を計算する見方」ということができます、役に立つ役に立たないとか、利用できる利用できないとかです。仏教では「物に宿されている意味を感得する見方」をします。それを智慧(ちえ)といいます。「もったいない」という言葉には深い意味・物語が秘められているのです。そんな智慧をもって感得された世界の表現に「ご恩」という言葉があります。ご恩を知るとは、私になされたご苦労、ご配慮を知る心と教えていただきます。
  光に照らされて物がよりよく見えるように、智慧の光によって照らされて、その背後に宿されている意味・物語を感得するとき「今をよりよく、いきいきと生きる」ことにつながっていくと思われるのです。

田畑正久(たばた まさひさ)
1949年、大分県宇佐市の生まれ。九大病院、国立中津病院を経て東国東広域病院へ、同院長を10年間勤め2004年の3月勇退。現在宇佐市の佐藤第二病院に医師として勤務、飯田女子短大客員教授として医療と仏教の協力関係構築に取り組んでいる。

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