「今を生きる」第28回   大分合同新聞 平成17年6月20日(月)朝刊 文化欄掲載

 もったいない(4)
 17年前、東国東広域病院へ転勤する時、今までの経験を生かせるか、地位はどうなるか、期待されている役を果たせるか、家族との関係は、給与は等、自分のことばかり考えて赴任しました。そんな時、仏教の師からお便りをいただきました。そこには「あなたがその地で、ある役割を担って仕事をすることは、今までお育て頂いたことに対する報恩行ですよ」とありました。報恩行が実現出来たかどうかは、恥ずかしい限りでありますが、自分のことしか考えてない自分の姿を強く思い知らされ、自分のためになされている他からのご配慮、ご苦労をほとんど考えてない自分を痛感しました。よき師の言葉は私の目を目覚めさすものでした。仏教では、何でも自分のモノとして取り込もうと生きる存在を「餓鬼(がき)」と言っています。欲しいものを手に入れようとわがままを言ってだだをこねる子供を餓鬼と言いますが、同じことなのです。大学に進学することが出来たのも、資格が取れたのも、経験を積めたのも、社会である努めが果たせるのも、よく考えてみれば多くの周囲の条件に恵まれ、因や縁が整って成就できることです。社会や親から育てられたこと、教えられ学んだこと、経験して身につけたことも、いつの間にか私有化してしまっていたのでした。ただ取り込むだけで、そのことを当たり前と思って、多くの見えないものに生かされて、支えられていること示す「おかげさま、もったいない」という世界が見えなくなっているのです。仏教はヒト(動物の一種)から人へ、そして人から人間(間柄、縁起性の分かる存在)になることを教えてくれているのです。「友よ、餓鬼・畜生から人間になろうよ」と。

田畑正久(たばた まさひさ)
1949年、大分県宇佐市の生まれ。九大病院、国立中津病院を経て東国東広域病院へ、同院長を10年間勤め2004年の3月勇退。現在宇佐市の佐藤第二病院に医師として勤務、飯田女子短大客員教授として医療と仏教の協力関係構築に取り組んでいる。

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