「今を生きる」第32回   大分合同新聞 平成17年8月15日(月)朝刊 文化欄掲載

 しあわせを求めて(2)
  しあわせとは「仕合わせ」と書くのが本来の日本語だそうです。「仕合わせ」の「仕」は辞書には、「仕」とは官職につくとか、目上の人の用をたす、ある人につかえること、家来になる、とあります。それで思い付くのが論語の「50歳にして天命を知る」です。この世に生を受け、私に期待されている仕事、使命を自覚することをいわれています。医療の分野における健康の定義で4番目の要素としたスピリチュアルな面が注目されようとしていますが、その中に人間として生まれて生きる意味、生きることで果たす仕事、使命に目覚める、ことが人間としての健全性を示すと言われています。この世での私の仕事、果たすべき使命に目覚めて生きる方向性が定まることは、私が救われるということに関係します。そんなことを示唆する詩があります。

 「生」 杉本平一
  ものを取りに入って 何を取りに来たか忘れて戻ることがある 戻る途中でハタと思い出すことがあるが その時は素晴らしい 身体が先にこの世に出てきてしまったのである その用事は何であったのか いつの日か思い当たることのある人は 幸福である 思い出せぬまま 僕はすごすごあの世に戻る

 この世での仕事、それは金を稼ぐとか、物を生産するとか、対外的で能動的なことだけではなく、その人に与えられた環境の中で、その人なりに輝いて生きて行けるのです。時には存在することだけでも意味を持ち、他へのはたらきかけを展開することがあります。清沢満之は「天命に安んじて 人事を尽くす」と言われています。与えられた境遇を肯定的に受け取り、無心に全力で取り組むのです。自分の仕事・使命を自覚する者は完全燃焼して必ず輝くのです。それが「仕合わせ」に通じて行くのです。

田畑正久(たばた まさひさ)
1949年、大分県宇佐市の生まれ。九大病院、国立中津病院を経て東国東広域病院へ、同院長を10年間勤め2004年の3月勇退。現在宇佐市の佐藤第二病院に医師として勤務、飯田女子短大客員教授として医療と仏教の協力関係構築に取り組んでいる。

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