「今を生きる」第36回   大分合同新聞 平成17年10月24日(月)朝刊 文化欄掲載

続・しあわせを求めて(2)
 世間では人々の活動や目標に向かって前進することの動機付けは、心の内面の不足・不満・不安(当事者の思いに浅いか、深いの違いはあるが)を解消するためということができます。経済活動の一面を「物の豊かな現代では、新たな欲望を刺激して購買力を高める」と表現した文章を見たことがあります。
 物の豊かさを追い求めて進んできた日本の現状は一般的には世界がうらやむ豊かさを享受しています。しかし、物の豊かさは心の内面までは満たさないことが分かってきたようです。
 診察などで接する高齢者の多くは、そこそこに物の豊かさと多くの時間を持つようになり、「戸惑い」を生きているのではないかと思われるのです。病気のために手術を受け、病気を機会に現役を退いたという人が、時間をもてあまして毎日パチンコに行っているという話を聞きます。 時間があるので大分県のあちこちの温泉めぐりをしています、と言う人たちの顔には、何かいまひとつの活気が無いように思われます。
 どこが問題なのでしょう。それは、もったいない、おかげさま、かたじけない、ありがたい、ご恩等の言葉で表現されてきた心の内面で感じ取る世界、「しあわせを感じる心」の有無ではないでしょうか。
 無病息災、家内安全、商売繁盛というような欲を満たそうとする宗教では無く、本当に心を耕す文化(英語で文化をカルチャーと言いますが、語源は“耕す”という言葉です)、目覚め、自覚へ教え導く宗教が願われます。
 仏教が日本の文化に何を貢献したかの問いに、ある人が「内観(注1)の一道」と答えられています。大切なものや、意味、値打ちは見えないのです、深い心で探さないと……ね。深い心、感性を豊かにする文化が求められています。
 注1:内観とは「自己の心的過程を自ら観察すること、内省、自己観察ともいう」(哲学思想事典・岩波書店)

田畑正久(たばた まさひさ)
1949年、大分県宇佐市の生まれ。九大病院、国立中津病院を経て東国東広域病院へ、同院長を10年間勤め2004年の3月勇退。現在宇佐市の佐藤第二病院に医師として勤務、飯田女子短大客員教授として医療と仏教の協力関係構築に取り組んでいる。

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