「今を生きる」第47回   大分合同新聞 平成18年4月3日(月)朝刊 文化欄掲載

智慧の目(4)
 日本全体がまだ貧しかった頃のことでしょう。ある人が瀬戸内海の島から関西に行く用事があって、徒歩やバス、連絡船や汽車を乗り継いで行くのにかなりの時間がかかるために、弁当を数食分用意してもらって出かけたといいます。最初は手で下げて持っていたが、疲れたので背中に背負うようにして運んで行ったといいます。当然、途中で何回か弁当を食べながらです。目的地につく頃は弁当も全部食べてしまって、背負うこともなく身軽になったといいます。
  前回の「現実の受容」とはこのことです。私に与えられた課題、問題を、頭の中でどうしようと(眺めるように)向こう側に見て思案すると、いろいろな雑念が出てきて取り越し苦労に振り回されやすい。いっそのこと、私が背負うべき問題と意を決して真正面から取り組むと、雑念に振り回されることが少なくなるのです。弁当を食べるがごとく、私に必要な課題が私に与えられていると受け取ると、取り越し苦労はさらに少なくなるということを教えてくれています。
  この世のあらゆる存在は、お互いに関係し合って存在すると智慧(ちえ)の目では見えるのです。それは「縁起の(理)法」といい、仏教の基本とでも言うべき悟り、目覚めの世界の内容です。私と私の周囲の事柄は、必要不可欠な関係存在なのです。煩悩に汚染された私は、「福は内、鬼は外」と私が必要なものだけを取り込もうとするために、受け取れない現実を前に、取り越し苦労、持ち越し苦労で頭が痛くなっていくのです。

田畑正久(たばた まさひさ)
1949年、大分県宇佐市の生まれ。九大病院、国立中津病院を経て東国東広域病院へ、同院長を10年間勤め2004年の3月勇退。現在宇佐市の佐藤第二病院に医師として勤務、飯田女子短大客員教授として医療と仏教の協力関係構築に取り組んでいる。

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