「今を生きる」第48回   大分合同新聞 平成18年4月24日(月)朝刊 文化欄掲載

智恵の目(5)
  「天命に安んじて、人事を尽くす」は清沢満之の言葉です。普通は「人事を尽くして、天命を待つ」といわれることが多いようです。清沢先生の言葉に触れたとき、私は人事を尽くして来たのだろうかと考えさせられました。思い起こせば大学受験の頃、勉強がうまくできないのは、勉強する環境が悪いからだ(よい勉強部屋がない、通学に時間がかかる、勉強教材、参考書がない、頭のいい子に産んでくれなかった、などの不満たらたら)と愚痴の思いが多かったことを思い出します。私は頑張っているのだが、周囲の条件、状況が整ってない。 私はやる気はあるのだが、勉強する環境がよくない、親の言動でやる気がそがれる。成績が上がらないのは外側の条件が悪い、親が悪い等の悪態を言いたい思いでいっぱいでした。いざ親に向かって言おうと思っても、親の状況を見れば言うこともできずにもんもんとしていたことが思い出されます。ひねくれ根性の人間(私)には人事を尽くすことが難しいのです。頑張れない、意欲のなさの原因を私の外側に転嫁するのです。私の周囲の状況・現実を受け取ることができないのです。
  仏教のお育てをいただき、智慧(ちえ)の目を知らされ、「私に必要なものが与えられている」と気付かされるとき、天命に安んずる世界こそ人事を尽くすことのできる道と頷かざるをえないのです。そして、その結果の良しあしにも執われず、私の責任として現実を受け取る道に導かれるのです


田畑正久(たばた まさひさ)
1949年、大分県宇佐市の生まれ。九大病院、国立中津病院を経て東国東広域病院へ、同院長を10年間勤め2004年の3月勇退。現在宇佐市の佐藤第二病院に医師として勤務、飯田女子短大客員教授として医療と仏教の協力関係構築に取り組んでいる。

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