「今を生きる」第49回   大分合同新聞 平成18年5月8日(月)朝刊 文化欄掲載

智慧の目(6)
  ガンなどを患う人を支援する緩和ケア病棟で働いた医師がどんなに心を尽くして看病しても、どうしても幸せに死ねない人がいるといいます。その人たちには共通の問題点があるようです。
  それは「不満や不幸の種を見つけることがとても上手」だということです。「どんなに素晴らしい環境、状況が周りに用意されても、必ず不満や心配や不幸の種を見つけ出しては、そればかりに心を集中してしまう。周りの人たちがどんなに、そうした問題の種を取り除いたり、気持ちをそらそうと手助けしたりしても、問題にしがみつくのだ。そして心の中の不幸を手放そうとしないのである。」ということだそうです。私たちは幸福になるために、その条件を多く集めようとしているのですが、どんなに努力しても100%満足ということはないのです。私たちの目は、完ぺきであることに執らわれると、そうでない状況を探し出すことに敏感になります。これを分別の目というのですが、これは智慧(ちえ)のないことを示しています。たとえば1万円札があったとして、それが本物か偽物かをはっきりさせる場合、偽物の証明は本物との比較で一ヶ所でも本物でない点を指摘すれば、偽物という証明なるのです。本物という証明は数十箇所同じということを指摘しても十分と言うことにはなりません。本物という完全な証明は大変だということがわかるでしょう。幸福の条件をいくら集めても「これで十分だ」ということはないと思われます。「私は生かされている、支えられている」。そんな見えない世界を感じる心があれば、そんなにたくさん集めなくても、幸せに生きることはできるのです。
  仏様の智慧がないと、不足、不満、不安を生きるしかありません。

田畑正久(たばた まさひさ)
1949年、大分県宇佐市の生まれ。九大病院、国立中津病院を経て東国東広域病院へ、同院長を10年間勤め2004年の3月勇退。現在宇佐市の佐藤第二病院に医師として勤務、飯田女子短大客員教授として医療と仏教の協力関係構築に取り組んでいる。

(C)Copyright 1999-2017 Tannisho ni kiku kai. All right reserved.