「今を生きる」第50回   大分合同新聞 平成18年5月22日(月)朝刊 文化欄掲載

智慧の目(7)修正版

 前回(49回)の不幸を手放そうとしない(幸せに死ねない)タイプとは対照的な人もいます。それは、どんなときでも常に幸せでいられる人たちです。
 彼らはどんな絶望的な状況の中にあっても、ほんのわずかに、きらりと光っている希望の明かりを探し出すことができる人です。たとえ重い病気にかかって死の間際にあっても、病気や死の中に眠っている希望の種を見つけ出し、幸せに死んで往かれたそうです。
  その医師は、「幸せに死ぬための究極の方法は、どんな逆境や絶望のふちにあっても、心の中に幸せな気持ちや穏やかな心を保っていられるだけの力を身につけることです。私は何千人もの人生、そして死と向き合う中で、こう教わったような気がする」と結んでいます。
  世間的な善悪、損得、勝ち負けのモノサシを持って分別をしっかり働かせなければ生きていけない厳しい世間の現実はありますが、その思考の延長線上では老病死の現実を乗り越えるすべはなく、幸せに死ねないグループに入りそうです。
  仏教の智慧(ちえ)の世界を知らされる時、世間的な分別の狭小さ、有限性を自覚させられます。そして自分の見る目、考え方は間違いないと思っていることのとらわれの愚かさにビックリし、目覚めさせる大きな世界に触れ、ほっと安堵(あんど)するのです。
  智慧の目をいただく者は「すべては私が受け取るべき現実、私が取り組むべき、背負うべき現実である」と受容して、「私が必要なものではなく、私に必要なものが与えられていた」と目覚め、とらわれから開放されて「出合うべきものに出合った」との充足の感動の言葉を残して生きていかれました。
  それは結果として私になりきる完全燃焼への道(人間としての成熟の道)だったのです。

田畑正久(たばた まさひさ)
1949年、大分県宇佐市の生まれ。九大病院、国立中津病院を経て東国東広域病院へ、同院長を10年間勤め2004年の3月勇退。現在宇佐市の佐藤第二病院に医師として勤務、飯田女子短大客員教授として医療と仏教の協力関係構築に取り組んでいる。

(C)Copyright 1999-2017 Tannisho ni kiku kai. All right reserved.