「今を生きる」第53回   大分合同新聞 平成18年7月3日(月)朝刊 文化欄掲載

自我意識(1)

  今を充実して生きるためには、自我意識と仏教の智慧(ちえ)との関係が大事になります。仏教の教えを良き師・友を通してお聞きして、智慧の大きな視点を細やかに知らされてみると、「自我意識」の問題点、課題に気付かされます。
 自我とは意識する主体であり、自分の体の主です。眠っている時は自我は把握のしようがないのですが、目覚めている時は「私はここにいる」という認識の主体です。自我(エゴ)の執着心から解放されるところに救いがあると、仏教は教えています。
  私は小学校低学年の夏、パンツとシャツ一枚で遊びほうけていたころ、自転車に乗って人出の多い商店街のある地区に遊びに行ったとき、パンツ一枚でいる自分に恥ずかしいという意識が起こったことを記憶しています。あれが自我意識というもの現れの一部であろうと思っています。
  普通の人間は、自分という者はこういう自分だということを知っています。自分のことは自分が一番良く知っているという自分です。「知っている自分」と「知られている自分」の二つに自我を分けることができます。鏡を見て写っている自分と、それに気付く自分の二つということです。
  いろんな動物を鏡のある部屋に置いて、その動物の鼻にマジックで目立つ色を付けます。動物が鏡を見ながら自分の鼻の色を気にするようになるか、全く無関心でいるかどうかを調べることで、自我を二つに分けているかどうかが分かるそうです。猫や犬は気付かないが、オランウータン、ゴリラやチンパンジーは気付くそうです。自我意識の未発達の犬や猫は、人間のように持ち越し苦労、取り越し苦労で悩むということはなさそうです。

田畑正久(たばた まさひさ)
1949年、大分県宇佐市の生まれ。九大病院、国立中津病院を経て東国東広域病院へ、同院長を10年間勤め2004年の3月勇退。現在宇佐市の佐藤第二病院に医師として勤務、飯田女子短大客員教授として医療と仏教の協力関係構築に取り組んでいる。

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