「今を生きる」第55回   大分合同新聞 平成18年8月7日(月)朝刊 文化欄掲載

自我意識(3)

  幼い子供で最初に育ってくる自我意識は、ただ自分のことだけを感知する主体ということができます。初期の自我意識は体の中に存在し、その中にいるけれども、そこから独立して存在しているのです。
  暑いと寒いと感覚の主体、物理的な生身の体の主体、寂しいとかうれしいという感情の主体、写真の中の自分の姿を私と思う主体、発育、発達する自分を知る主体としての自我、自我意識ということです。
  自分と他人を分ける最も基本的なものは「からだ」です。自分の体を持つなら自分、そうでなければ他人。非常に単純なことですが、この分別がないと、自分の顔を見ても自分であると認知できない、ということになってしまいます。
  自分の姿を自分だと認識できる能力はチンパンジーなどにはあることが確認されています。しかし、同じチンパンジーでも、生後すぐに隔離し1匹で育てたものでは、自分の鏡に写ったものを自分と認知ができないそうです。自我意識の発達は生まれつきに持っている能力だけではなく後天的に共同生活の中で発達したり、しなかったりという発達限界はあるそうです。
  ヒトでも生直後から動物に育てられると、いわゆる人間になれないという記録があります。1920年インドの森で、オオカミに育てられた推定で8歳と1歳半ぐらいの2人の子どもが発見されました。発見時の子どもの行動は、まるでオオカミそのものでした。
  犬のように食べ、暗い場所を好み、部屋の隅にじっとしていて、夜にはオオカミのように遠吠えをする。笑わず、言葉は話さず、四つ足で歩き、直立歩行はできない。その後、牧師夫妻に献身的な養育を受け、年長の子だけが約9年間生き続けました。けれども、「はい」「いいえ」を身振りで意思表示するのに三年、「アーム(私)」などの幼児語を話すのに六年、「ご飯」「牛乳」など単語を話すのに九年かかったということです。
  仏道はヒトから人間へ、そして成熟した人間へのお育てをいただく道です。

田畑正久(たばた まさひさ)
1949年、大分県宇佐市の生まれ。九大病院、国立中津病院を経て東国東広域病院へ、同院長を10年間勤め2004年の3月勇退。現在宇佐市の佐藤第二病院に医師として勤務、飯田女子短大客員教授として医療と仏教の協力関係構築に取り組んでいる。

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