「今を生きる」第59回   大分合同新聞 平成18年10月16日(月)朝刊 文化欄掲載

自我意識(7)

 普通、私たちは成人してある年齢になると、自分というものはこういう自分だというように自分を知っています。知っている自分と、知られている自分の二つ分けることができます。即ち、主語としての「自分は」と目的語の「自分を」ということです。
目的語としての自分、知られる私についてはさらに分化されていきます。
 「自分を」自我意識の発達が進むと他人の目で自分を考えることができるようになるのです。すなわち自分が考える自分(自我A)、そして他人の立場になって考える自分(自我B)、他人の目をもってみる自我という二つの視点で考えることができるようになるのです。
 自分が考える自分(自我A)とは“私のことは私が一番よく知っている”と誇りたくなる私です。確かに私の気持ち、嬉しい、悲しい、怒り、感動は私にしか分かりません。
 他人の目で考える自分(自我B)とは、私は周囲の人に迷惑をかけていないか、私の存在が回りの人に及ぼしている影響、等についての相手の目になって自分を見ることで相手の気持ちを推察することもできるようになります。自我Aとは違って、自分を自分から少し距離をおいて客観的に見る視点でもあるのです。この自我Bをみて、善・悪、損・得、勝ち・負け等を世間的に考えたりします。自我のAとBとが対話するようにもなり、他人と比べたりして苦しみ、悩みで葛藤するということにもなるのです。自我はさらに分化します。

田畑正久(たばた まさひさ)
1949年、大分県宇佐市の生まれ。九大病院、国立中津病院を経て東国東広域病院へ、同院長を10年間勤め2004年の3月勇退。現在宇佐市の佐藤第二病院に医師として勤務、飯田女子短大客員教授として医療と仏教の協力関係構築に取り組んでいる。

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