「今を生きる」第68回   大分合同新聞 平成19年3月12日(月)朝刊 文化欄掲載

天人五衰(4)
 前回の天人五衰を解説します。
 衣服垢穢(えふくこうあい):仏教では天界はまだ迷いの世界と教えてくれています。天人は迷いの中にいるのですが、その中で世間的には最も恵まれた生活をしているのかも知れません。しかし、これまでの功徳を使い果たした天人はいつの間にか着ている羽衣、衣裳が塵や垢で汚れ穢(けが)れる、また何回も着るとすり切れたりして新品のような張りがなくなる。また時にズボンのファスナーが開いていたりすることなどを衣服垢穢(えふくこうあい)というのでしょう。
 田舎では住人が居なくなった立派な家が雑草に覆われ次第に寂(さび)れていく現実を目の当たりにしますが、そんな感じでしょう。五衰の姿を他人事として見るのではなく自分のことと重ねあわせて考えることが大事です。
 五衰の徴候が現れ、我が身の現実を知った天人は、神通力で自分の未来の姿を見てしまい、深く失望します。自分が今後、天界に比べればひどく恵まれない環境に生きることになることを知るからです。そして、天人は失意のさなか、死んでいくというのです。 葬儀の時に「天国で安らかにお眠り下さい」という弔辞をよく聞くことがありますが、キリスト教では問題はないでしょうが、仏教徒だった場合は仏教では亡くなった人に対して失礼な表現になるということなのです。亡くなって生身が滅して、煩悩も滅した仏の世界の存在になった人に、また迷いの世界に行くような表現になるからです。仏教では迷いを超える、生死の四苦を超える道を教えてくれているのです。神のいる世界ということで天国というのでしょうが、神道でも天国という表現はされないようです。

田畑正久(たばた まさひさ)
1949年、大分県宇佐市の生まれ。九大病院、国立中津病院を経て東国東広域病院へ、同院長を10年間勤め2004年の3月勇退。現在宇佐市の佐藤第二病院に医師として勤務、飯田女子短大客員教授として医療と仏教の協力関係構築に取り組んでいる。

(C)Copyright 1999-2017 Tannisho ni kiku kai. All right reserved.