「今を生きる」第70回   大分合同新聞 平成19年4月30日(月)朝刊 文化欄掲載

天人五衰(6)
 引き続き天人五衰を解説します。不楽本座(ふらくほんざ):天人とは、仏のはたらきを喜び、音楽を奏し、花を降らせ、香りを薫じ、瓔珞(ようらく)をなびかせて天空を舞う優雅な姿を想像します。しかし、時間が経過すると、自分の今の恵まれた居り場、本座に安住することを楽しまないというのです。
 あるゴルフ好きの先輩が4,5年前ハワイでゴルフ三昧の八日間を過ごしたという。その顛末記、一日目天国に居ると感じる程に楽しみ,二日目、三日目夢中でゴルフをやりました。四、五日目、他のものに目が移りだし、六日目、全く面白くなく、以後、七、八日目、単に連続ゴルフの記録更新の為にのみ、自分にむち打ちながらプレイをしました、という。
 また知人の高校教師を定年退職した人が感想に、「退職の翌日から自由気ままに、釣りや温泉三昧、寝たい時に寝、食べたい時食べるという自堕落な暮らしにどっぷりと漬かっていた、ところが半年を過ぎたころから、そんな快適な極楽生活にも陰りが刺し始めた。河口の堤に腰掛けてハゼを釣っている最中にも、何か落ち着けない気分に襲われるようになった。その気持ちは、日を追って深まってきて、ずっと憧れ続けてきた、何物にも束縛されない自由な暮らしも、案外味気なく、虚しいものだと思い出した。」と書かれていました.
 無数無量の快楽を受ける天人でも、この此岸(しがん、注1)に住む以上は五衰が生じるという、仏教の無常の理を表しています。どうも、平凡な人間には天上界の生活は身に付かないようです。
 注1:悟りの岸、彼岸に対して迷いの世界、この世を此岸という。

田畑正久(たばた まさひさ)
1949年、大分県宇佐市の生まれ。九大病院、国立中津病院を経て東国東広域病院へ、同院長を10年間勤め2004年の3月勇退。現在宇佐市の佐藤第二病院に医師として勤務、飯田女子短大客員教授として医療と仏教の協力関係構築に取り組んでいる。

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