「今を生きる」第78回   大分合同新聞 平成19年9月17日(月)朝刊 文化欄掲載

存在の満足(7)
 ある人が魔術にかけられ、ある部屋(世界)に入るとき、そこには人間を傷つける恐ろしい獣がいると思い込まされたとすると、その人は獣を恐れ、身構え、闘おうとします。見えなければ、何処かに潜んでいないかと戦々恐々と進むことになるでしょう。心中は不安・恐怖をかかえていることになります。
 江戸時代の豪商、鳥井宗室の跡継ぎに宛てた遺言の中に生活の指針としていろいろ書かれている最後の方に「使用人にいたるまで皆々、盗人と心得べき……」と書かれているといいいます。「渡る世間はオニばかり」という発想で、前記の内容に似ています。
 一方その魔術が解けて、その部屋(世界)には怖いものなんか一つもありません、あなたをみんなが温かいまなざしで歓迎しているのですよ、と知らされるようになれば、私という存在は周りのあらゆる存在と関係しあっており、時間的・空間的に多くの事柄によって生かされている、支えられている、というあるがままの事実を知ることになります。
 これこそ魔術の呪縛(じゅばく)が解けた状態です。その人の心中は天地が逆転するような変化を来たし、安心して生きることが出来るようになります。
 作家の吉川英治は「われ以外、皆わが師なり」と言われたといいます。私の周囲は皆、私に何かを教えよう、育(はぐく)もう、支えようとする存在だと気付かれたのです。
 しかし、まわりの師は決して優しく丁寧であるばかりではありません、時には厳しく泣きたくなることもあるでしょう。それは私への配慮があってのことなのです。
 あるがままの私、見える命は見えないいのち(寿)によって生かされている。関係存在としての全体像に目覚めるとき、存在の満足へと導かれるのです。

田畑正久(たばた まさひさ)
1949年、大分県宇佐市の生まれ。九大病院、国立中津病院を経て東国東広域病院へ、同院長を10年間勤め2004年の3月勇退。現在宇佐市の佐藤第二病院に医師として勤務、飯田女子短大客員教授として医療と仏教の協力関係構築に取り組んでいる。

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