「今を生きる」第79回   大分合同新聞 平成19年10月1日(月)朝刊 文化欄掲載

存在の満足(8)
 私たちが今、ここに存在するということは、よく考えてみるとビックリするべきことなのです。まして私の意識が今、ここにあるということは不思議な現象です。赤ん坊が生まれてから成長するにつれて、目にすることは全て初体験で驚きの連続だろうと推測できます。かって、自我意識の発達する小学高学年、中学・高校の時期は不安や苦しみはありましたが、一方では期待と驚き・学びや初体験の連続であったように思われます。
 それが大人になり、存在することに慣れるに従って、存在することの“当たり前”の感覚が意識を占領してしまっています。
 成長や慣れの時期を無かったことにして考えてみたらどうでしょう。今、ここに突然「在る」ことを考えると、存在すること自体、不思議で驚きで、在ること難しという事実があるということです。
 何で私が存在するのか? その存在も必ず死んでいく。どうせ死ぬのに生まれたこと、生きることに意味はあるのか? 死んでいくとはどういうことか? 分からないことだらけです。
 今、ここで存在することの不思議さに感動する者は、生かされていることの恩に報いる歩みを無心に展開します。与えられたいのちを精いっぱい生きて、使命を果たして歩むのです。その生き様は、その人ならではの輝きを放ちます。

田畑正久(たばた まさひさ)
1949年、大分県宇佐市の生まれ。九大病院、国立中津病院を経て東国東広域病院へ、同院長を10年間勤め2004年の3月勇退。現在宇佐市の佐藤第二病院に医師として勤務、飯田女子短大客員教授として医療と仏教の協力関係構築に取り組んでいる。

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